Chapter 65 『今、ここ』を生きている

これから、わたくしごとをお話するのは格好の例題だと思う故であること理解してください。
わたしは、今激しい心臓発作に見舞われています。
午前1時半頃に襲われたので、もう1時間以上経過しています。
今は午前3時前です。
わたしの仲間の一人が、大阪の石切神社というところから、病気平癒祈願の護摩札をもらって来てくれたのですが、その護摩札を胸に当てて、苦しい時の神頼みを、この1時間ちょっとの間していました。
そして、今このChapter65を書いているのです。
肉体はとても苦しく、しょっちゅう息を大きくしていないと、心臓の乱れた鼓動が頭にまで、ドンドンと響いてくるのです。
しかし、わたしは、今こうして書いています。
正直な処、昨日のことを引き摺って思い悩んだり、明日のことを心配して不安になったりしている余裕は、今のわたしにはありません。
心臓発作と一心同体であります。
まさに、『今、ここ』におります。
更に、日課である3時からの執筆活動に入っています。
午前1時半頃からの1時間程の間のわたしは、心臓発作と一心同体の、『今、ここ』に居りましたが、午前3時からのわたしは、心臓発作を無視して、書くことと一心同体の、『今、ここ』に居ります。
そうすると、頭にまで響く心臓の鼓動が聞こえなくなってきました。
わたしは、今、覚醒した状態で書いています。
今、まさに書いているわたしだけです。
次にどういう文章を書くのかも考えていません。
ただ書いているだけです。
書くわたしを意識すると、心臓の鼓動が頭にまで再び響いてきます。
少しでも思考が入ると、指が止まり、鼓動が聞こえてきます。
書くわたしも、書かれる内容もないと、書くことにならないのです。
従って、ただ書くということだけが、『今、ここ』に在ります。
今は、普段の過去や未来に思いを馳せて生きている自分に少し戻りましたので、こんな文章を書いています。
2行前のわたしと、この行のわたしとでは、あきらかに、『今、ここ』に居る「わたし」と、『次、あそこ』に居る「私」との違いがありました。
『ありました』と申しましたのは、また今、『今、ここ』に居る「わたし」が書いているからです。
まさに、戦いです。
空から爆撃するような戦争は戦いではありません。単なる人殺しです。
敵と対峙して死ぬか生きるかの戦いをすると、『今、ここ』に居る方が勝ちます。
少しでも、『次、あそこ』に居たら、もう殺されています。
敵は「私」でありますが、まさに今、戦いです。
生きているということは、このような状態に居ることを言うのです。
今、少し考えていると、再び、『次、あそこ』にいる「私」に戻っていますが、こうやって再び書き出すと、『今、ここ』の「わたし」に戻っています。
「私」と「わたし」の戦いです。
止まったら倒れる自転車と同じで、身体−今の場合は指ですが−が止まれば、「わたし」は死に、「私」が生き返ってくるのです。空即是色。
従って、指を止めておくわけにはいかないのです。
だからといって、指を動かすと、思考の入る余地は一切ありません。色即是空。
その中で、どうしてわたしは書いているのでしょう。
それは指に聞くしかないのですが、指は喋ってくれません。
継続する効果性は、このような、『今、ここ』に居る状態になれる、更に持病の心臓発作がその触媒になってくれている。
そう思えば、心臓発作もありがたい賜物であるのです。
今、わたしは生きています。
色即是空 空即是色
の境地とは、こんな境地ではないでしょうか。