Chapter 61 人間としての尊厳

わたしたちは日々、生と死を繰り返していると申しました。
日々とは、毎瞬間のことですが、その繰り返しの現象に、わたしたちは気づかないのです。
たとえば、食事をしていることも、よく考えてみれば食物連鎖という生と死の循環システムの一環であるのです。
セックスをしている時も、生と死の繰り返しをしているのですが、そのことに覚めていないために気づかないでいるのです。
従って、日々のことに覚めないで生きている人にとっては、この生と死の繰り返し現象に気づかないわけですから、死というものに対する認識が無いのです。
ところが、いつか必ず死ぬということは知っている。
このギャップが死への恐怖となり、延いては、生に対する認識もなくなってしまっている原因であります。
しかし、わたしたちは生きています。これが問題なのであります。
わたしが自殺を肯定する理由はこの点にあります。
日々の生と死の繰り返し現象に気づかないで生きるということ程、矛盾がいっぱいで、辛くて情けないものはありません。
正常な精神であれば、こんな矛盾だらけの中で生きていることなど出来ない筈です。
だから自殺をするのは、ある意味でノーマルな精神状態だと言えるのです。
一方、動物は、日々の生と死の繰り返し現象を熟知しています。
しかし、死というものが必ずやって来るということは知らないのです。
『今、ここ』において何の矛盾も、辛さも、情けなさも感じないのですから、動物には自殺の観念がないのです。
生と死の繰り返し現象を、生と死を対局にした考えではなくて、一枚の同質のコインだと捉えているのです。
だから、死の概念を持っていないのです。
人間だけが死の概念を持っているのは、逆に言えば、日々の生と死の繰り返し現象に気づかずに生きているからです。
即ち、ほかの生き物はすべて、『今、ここ』を覚めて生きておるのですが、人間だけが、『今、ここ』に居るのに気づかずに生きておるのです。
生きていく上で一番大事なもののひとつに、息があります。
息は吸うのと、吐くのを以って息というのですが、わたしたちは無意識の内に息をしています。
息も生と死の繰り返し現象であるのです。
息を吸うことは生であり、吐くということは死であります。
わたしたちは、その息を無意識の内にしておるのです。
結局の処、瞬間を生きている生き物は、生と死の繰り返し現象を覚めてみているのですが、わたしたち人間だけが、覚めずに眠った状態で生きておるわけです。
『今、ここ』に居ないわたしたちは生きる屍であると言っても言い過ぎではありません。
では、どうしたら、『今、ここ』に居ることが出来るのか。
息を意識する方法を、「心の旅の案内書」でお話しました。
ここでは、セックスを意識してする方法をお話してみましょう。
男女がセックスするのは、二つの肉体が一つになるということを、みなさんはご存知でしょうか。
つまり、個としての自分が消えてしまうことを意味しています。
従って、子孫をつくるという生理作用においては、最終的には男の射精を以って最終局面になるのですが、意識作用としては、二つの体が一つになることが最終局面であるのです。
二つの体が一つになった時点で個としての自分は消滅する、つまり死の現象であるのです。本当に愛する二人なら、お互いの肉体が一つになることを切望しているだけで、クライマックスは、その結果であるのです。
ところが、ほとんどの人間、特に現代社会に生きているわたしたちは、クライマックスだけを切望してセックスをしておるのです。
射精をするのは男ですから、男の方が女よりもクライマックスを重視する結果、男にとってのセックスは愛情の所産ではなくなっているのです。
従って、女の方が精神的活動としてセックスを捉えているのですが、残念ながら昨今の女は、男と同じ意識になってしまっているのです。
しかし、考えてみれば、同じセックスでも男と女のクライマックスつまりオルガスムのメカニズムはまったく違うのです。
男はデジタル的オルガスムであるのに、女はアナログ的オルガスムであります。
オルガスムをセックスの最終段階と捉えるのは、子孫をつくる生理作用だけであって、愛情といった意識作用においては、死の局面だということを知らなければなりません。
わたしたちは、生きていくために生理作用を繰り返しています。
食べる、眠る、排泄するといった生理作用の一つとしてセックスもあります。
他の生き物は生理作用だけで生きています。
人間は生理作用だけでなく意識作用も働いていることを認識しなければなりません。
『今、ここ』に居ることが極めて難しいのは、意識作用があるからなのです。
しかし、それが生き物の進化の頂点に立つ人間の義務であるのに、わたしたちは、『今、ここ』を生きていない。
それはまさしく、人間としての尊厳の放棄であることを、よく認識して頂きたいのです。