Chapter 6 現実との境界線

悪夢は正夢の一種であり、楽しい夢も正夢であることから、悪夢と楽しい夢は実は同質のものではないかと考えられます。
それを証明するものとして、Chapter5で説明しました、目が醒めることによって夢を忘却するのは負夢であるということについて、もう少し堀下げてみなければなりません。
目が醒めることによってはじめて夢を観ていたことをわたしたちは気づきます。
眠っている間は、夢は現実であり夢とは思っていないのです。
従って、目が醒めた瞬間(とき)こそが、夢と現実の境界線であることは容易に理解できます。
現実だと思っていた眠りの中での出来事が夢だと知った瞬間(とき)、眠りから醒めてもその出来事をよく憶えている場合と、眠りから醒めたとほぼ同時にその出来事を忘却してしまう場合とがあります。
悪夢を観た場合、楽しい夢を観た場合は、よく憶えています。眠りから醒めた後も暫く余韻が残っています。
悪夢を観た後の余韻は、とても気分が悪いものです。夢だとわかったのだから、夢の中ではいくら不愉快な出来事でも、目が醒めたら現実ではなかったのだから不愉快な気分にならない筈です。却ってほっとして気分がいい筈なのに不愉快な気分を引き摺るのは何故でしょう。
楽しい夢を観た後の余韻は、悪夢とは逆にとても気分が好いものです。しかし夢だとわかったらがっかりする筈なのに、依然好い気分が続いているのは何故でしょう。
更に、悪夢も楽しい夢も目が醒めた後を引き摺るのは何故でしょう。
答えは、正夢であるからです。
即ち、普段現実だと思っていることの延長線での出来事であるから引き摺るのです。
逆に考えれば、悪夢や楽しい夢の出来事は夢ではなく現実だと思っている節があるようです。そう願っていると言ってもいいでしょう。
事実であること。
事実であるだろうこと。
事実であってほしくないことと、あってほしいこと。
これらが混在して区分けがつかないのが正夢の実体であるようです。
この事実に関する三つの現象を、もう少し堀下げて行きますと、目が醒めた瞬間を、現在とすれば、過去と未来によって区分けされていることがわかってきます。
『事実であること』は夢を観ている真最中であるから、目が醒めた時点からすれば過去のことです。
『事実であるだろうこと』は目が醒めた瞬間に思うことだから、目が醒めたそのものの時点である現在のことです。
『事実であってほしくないこと、あってほしいこと』は目が醒めてから、それが夢だとわかって、引き摺りたくないと思うか、引き摺りたいと思うかどちらかであって、それは未来に対する思いに外ならないのです。
ここまで来れば、何か思い当たることがある筈です。
この現象は実は目が醒めた瞬間(とき)だけではなくて、四六時中わたしたちが経験している人生そのものであるのです。
過ぎ去った過去を悔やんで生きているわたしたち。
未だ来ぬ未来を思い悩んで不安な気持ちで生きているわたしたち。
生きているわたしたちそのものであります。
そこに夢と現実の境界はないことに気づくべきであります。
正夢の実態をまず理解することです。