Chapter 58 生と死のインターバル

夢には、正夢と負夢があると申しました。
負夢は、無制限連続バラバラ1本立て映画の予告編や宣伝映画の部分で、バラバラで一貫性の無い映画を真剣に観ているわたしたちにとっては、砂漠の中のオアシスのようなものです。
眠る上において、欠かすことのできないものなのです。
しかし、わたしたちのほとんどは正夢ばかりを観て生きています。
眠っている間は夢を現実だと思い、目が醒めたら夢だったと思う夢が正夢であるので、わたしたちは夢を観た記憶があるのです。
負夢は、観ている最中も夢だと思って観ているから、目が醒めた時、記憶に残らないわけです。
『今、ここ』を生きるとは、負夢を観ている状態、つまり夢の中で覚めている状態にいることと同じなのです。
瞑想をしたり、座禅を組んだりするのは、覚めた状態を目指しているわけで、目が醒めている時ですら、わたしたちは覚めた状態にほとんどないのです。
唯一、負夢を観ている時だけが覚めた状態であるのですが、負夢を観た記憶がないから、覚めた状態を知らないで生きているわけです。
わたしたちは、生まれたら死にます。
わたしたちは、この生と死の繰り返しを一生に一回だと思っている。
実は、この瞬間にも、生と死の繰り返しをしているのです。
髪の毛が伸びると理髪店に行ってカットしてもらいます。伸びている髪の毛は体の一部として生きていますが、カットされた髪の毛は床の上で無残にも死んでいるのです。
爪を切る。伸びている爪は生きています。切った爪を観察していると死体と同じように、変色して、そのうちに灰になっていきます。
わたしたちの身体は、このように日々、新しい生と死を繰り返しているのです。
地球が誕生してから46億年が経過していますが、地球も日々、生と死を繰り返しているのです。
ただトータルな有機生命体としての機能が働かなくなった状態を以って死んだと、わたしたちは思っているだけなのです。
わたしたちは死後のことを知らないと思っていますが、それはトータルな死の経験が無いだけで、断片的な死はしょっちゅう経験しているのです。
負夢を観て、そして目が醒めるということは、断片的な生と死を覚めた状態で繰り返している貴重な体験なのです。
まさに、『今、ここ』に居る状態です。
正夢を観て、そして目が醒めるということは、断片的な生と死を眠った状態で繰り返している実に無駄な体験なのであります。
『今、ここ』に居ないで、『次、あそこ』に居るのです。
白昼夢を観て、現実と区分け出来ないでいるということは、トータルな死に際してまったく眠った状態でいるリハーサルを繰り返している体験なのであります。
『今、ここ』にも、『次、あそこ』にも居ない、まさに、どこにも居ないのであります。
あなたは、今、何処に居るのでしょうか。