Chapter 56 空飛ぶ絨毯

わたしたちが生きている世界は、わたしたちが勝手に思い込んでつくってしまった地獄の世界であるのです。
程度の差はあっても、先延ばし的生き方を誰でもしています。
しかし、天国の世界も、神や天使が与えてくれたのではなく、わたしたちの考え方ひとつでつくることができるとも言えるのです。
わたしたちが、『今、ここ』という『時間の切れ端』と、どのように対峙して生きて行くかに掛かっていると言えるでしょう。
わたしたちが生きているということは、時間という空飛ぶ絨毯に乗って旅をしているようなものであって、その時間という絨毯は長細いもので、わたしたちの前後を遥か彼方まで伸びているかの如く見えます。
しかし、それは実は蜃気楼であって、わたしたちが、その場所に行ってみると何もないわけです。
わたしたちが乗っている時間という絨毯は、わたしたちが立っている場所だけが実在するものであって、わたしたちが地に−ここでは地ではなくて絨毯ですが−足をつけていない場所はすべて蜃気楼であるのです。
そして、わたしたちが絨毯に足をつけている場所が、『今、ここ』である『時間の切れ端』であるのです。
従って、時間という概念も、突き詰めてみると、『今、ここ』だけが実在するものであって、それ以外はすべて蜃気楼と言うか、幻影みたいなものであるのです。
時間とは、厳密に言えば、『時間の切れ端』と言っていいでしょう。
幅がある時間という概念からすれば、時間を刻んだ時ということになるのでしょうが、わたしたちは、時間と時刻というのを同義語として使っているようなので、敢えて『時間の切れ端』と言うことにしたのです。
空飛ぶ絨毯に乗って旅をしているわたしたち。
足をつけている場所から一歩足を踏み外せば地獄へ真逆に転落する、危険な絨毯に乗って旅をしているわたしたち。
しかし、足を踏み外しさえしなければ、上を見れば美しい天、下を見れば奇麗な景色が見える最高の展望台のような場所に居るわたしたち。
何度も何度も懲りずに足を踏み外して地獄に真逆に転落するわたしたちを、懲りずに引き上げてくれる良いところもある空飛ぶ絨毯。
「もういい加減、目が醒めたらどうなの」と言ってくれる空飛ぶ絨毯。
どっちみち過ぎれば切れ端となってポイと捨てられていく空飛ぶ絨毯。
それならいっそのこと、わたしたち自身が前後の絨毯を切り取った『時間の切れ端』の上に地に足をつけて生きて行くしかないのです。
実舞台が見える四階の劇場の席に就いて、そこから五階や三階を見て楽しみながら、自分の舞台の演技と演出をするべきです。
その時、四階から見える背景画面には、舞台にマッチして且つ先に楽しみを持たせてくれる映像が映っているのです。
それが天国というものなのです。
地に足がつかずに踏み外せば地獄。
地に足をつけて見渡せばそこは天国。
『時間の切れ端』が、わたしたちの唯一の足場なのです。