Chapter 55 地獄の実体

先延ばしの人生を送っていると必ず、地獄の門に辿り着きます。
何故なら、生きるとは、『今、ここ』を生きるしかないのに、それを放棄しているのが先延ばしの人生であるからです。
『今、ここ』は舞台であります。
そして背景画面は、次にやって来る舞台を映し出してくれているというのが、舞台との相対関係であります。
ところが、先延ばしをしている人の舞台は照明が消えていて演ずることも演出することもせずに休演しておるわけです。
舞台が休演しますと、背景画面と相対性による時差があるので、いずれ背景画面も消えていきます。
舞台の照明が消えてから、背景画面が消えるまでの時差が、先延ばし人生を送っている人の唯一の生きている感覚を持っている時間なのです。
その時、見えるものは当然背景画面だけですから、夢を人生だと思うしかないのですが、その背景画面が舞台との相対性をどんどん失っていくのです。
先延ばしをする度に、舞台の照明を消しているのですから、背景画面は羅針盤を失った船のようになって目的地とどんどんかけ離れていくのです。
先延ばしをしている人も、肉体は生きているので、舞台を永遠に休演しておくわけにはいきません。
食べる、用を足す、セックスする、眠るといった肉体が欲求する生理的活動はしておるのですから、その時だけは舞台の照明を点けて開演しておるのです。
いっそのこと、ずっと休演していればそれはそれで一つの選択肢であるのですが、食べる、用を足す、セックスする、眠るという生理的欲求は、そういう人に限って貪欲で、止められないのです。
自殺することによって、ずっと休演した方が気の利いた生き方だと思うので、わたしは自殺を認めているのです。
認められないことと言うのは、それ以上悪い選択肢が無い場合に限ると思うからです。
先延ばしの人生を送る方が、自殺することによって自分の人生にピリオドを打つよりも悪い状態になるからです。
ずっと休演しておれば、時差の関係で背景画面はしばらくの間は映っていますが、いずれネタ切れして消えてしまいます。
ところが自分の都合の悪い時は先延ばし行為によって休演し、自分の都合の良い、食べる、用を足す、セックスする、眠る時だけは開演するものですから、背景画面も、その開演時の舞台だけに合った背景画面を送り続けることになるわけです。
そして食べる、用を足す、セックスする、眠る行為の時は無意識にしているので舞台は見えないで、食べる、用を足す、セックスする、眠っている背景画面の夢だけを観ておるのです。
この悪循環に陥ると、夢と現実の区分けがまったく出来なくなるのは当然のことで、無意識に食べる、用を足す、セックスする、眠っている結果、ほんの少しだけ開演している筈の舞台さえ見えず、時差のある背景画面も、食べる、用を足す、セックスする、眠る場面ばかりですから、勘違いするのです。
「夢の中の眠り」という題をつけたのは、こういった先延ばしの人生を送っている人こそが、人類の悲劇、延いては地球上の生物の悲劇を生み、挙げ句の果てに地球まで破壊しようとしている張本人であることを自覚させる為なのです。
英語のタイトルは、「Reality within Sleep, Dream within Reality」とつけたのですが、英語のタイトルの方が、わたしの意図がはっきりと出ています。
先延ばしの人生を送っている人は、Reality within Sleepつまり眠りの中で生きており、 Dream within Reality生きていることそのものが夢になっておるのです。
無意識で食べる、用を足す、セックスする、眠るしかない人生、そしてそれ以外のものはすべて先延ばしで舞台の照明を消し休演する、悪循環の人生。
食べる、用を足す、セックスする、眠る場面しかない背景画面に映る映画。
これこそが、正夢の正体であり、地獄の実体であるのです。