Chapter 54 先延ばしが地獄への入り口

夢である背景画面は、無制限バラバラ1本立て映画であることを今一度思い出してください。
背景画面を自由自在にするには、現実の世界である舞台との相対性を理解しておかなければなりません。
つまり、未だ来ぬことが先ず背景画面にないと、現実の舞台にはなりません。
即ち、先ず背景画面に現れない限り実現しないわけです。
夢とは、将来必ず実現するものを言うのです。
しかし、夢は、思い憧れるだけで、到底実現し得ないものだと、わたしたちは思っています。
実現し得ないものだと思えば、それは絶対実現しません。
それが潜在意識の法則であることは、みなさんご存じの筈です。
潜在意識には好き嫌いの観念が無いために、潜在意識で思ったことは嫌なことでも、好きなことでも、実現してくれます。
取り越し苦労ばかりしている人は、その通りの苦労が現象を変えてやって来ます。
それは、たとえ嫌なことであっても、そのことばかりを考えているわけですから、潜在意識では実現させようとする働きをするのです。
実現して欲しくなかったら、潜在意識に伝えないこと、つまり考えないことです。
従って、夢は所詮夢であって、実現し得ないものだから夢だと思っているわたしたちには、夢は現実の舞台には降りて来てくれません。
現実の舞台に降りて来ないということは、背景画面に現れていないわけです。
そうしますと、どうやら帰納法的発想が必要であることが徐々に見えてきた筈であります。
夢を自由自在に、自分の願う背景画面にしたいと思うなら、現実の舞台を、先ず自分の願うものにすればいいわけです。
結局の処、わたしたちそれぞれが、唯一出来得るのは、『今、ここ』でしかないのです。
既に背景画面に映っていることを、どうこう出来るわけが無いのです。それは『次、あそこ』にあることなのですから、『今、ここ』になってからでないと、わたしたちは行動出来ないのであります。
唯一出来得る、『今、ここ』を自分が願う状態にしておけば、『次、あそこ』にある背景画面は、必ず、いつか近い将来、『今、ここ』になるのです。即ち実現するのです。
それが夢の本質であります。
たとえば、今、パリにいるわたしが、背景画面を、雪に覆われた美しい富士山を目の当りにしたいと思ったなら、いつかは別として−従って、近い将来としか言えないのです−日本に行く飛行機のチケットを買わなければなりません。
また成田空港から東京駅への行き方も知っておかなければなりません。
そして富士山が目の当りに見える富士五湖への行き方も用意しておかなければなりません。
これだけのことを、『今、ここ』で行動しないと、実現は不可能です。
ところが、わたしたちは、『まあ、明日でも出来るさ!』と思って先延ばしをするのです。
明日とは、永遠にやって来ないことをおおよそ知っているのに対して、先延ばしの意思表示なのです。
『今、ここ』だけが吉日だと申しました根拠がここにあります。
サラリーマンの方々が、もう目の前にリストラや定年退職が迫っているのに、自分の将来に対して、『今、ここ』で手を打つことをしないで、ずるずると微温湯に浸かって、結局は風邪を引いてえらい目にあうのは、まさに先延ばしの人生を送って来たからであります。
そのようなサラリーマンの方々の背景画面は、自分が演じて演出している筈の舞台とは、およそかけ離れたものであることは想像に難くありません。
充実した老後を送る為には、今、充実した生き方をしていなければ話になりません。
今を納得した生き方をしていない人が、どうして将来を納得した生き方が出来ましょうか。
未来を切り開くには、『今、ここ』しかないのです。
自分の望む人生を背景画面にしておきたいと思うのはやまやまでしょうが、それなら先ず、『今、ここ』を自分の望む現実にしておかなければなりません。
「神はすぐ傍」で書きましたが、時間の流れが、過去から未来への一方通行であるにも拘らず、人間は先延ばしの悪癖がついてしまったのです。
輪廻転生もその悪癖から生まれた考え方だと、わたしは思います。
過去から未来への流れであっても、未来から過去への流れであっても、永遠の瞬間である、『今、ここ』を通過しなければならないのです。
永遠の瞬間と申しましたのは、この瞬間が、ナノ秒(10億分の1秒)なのか、100分の1秒なのか、1秒なのか、それとも永遠なのかは、わたしたちそれぞれの考え方次第であるからです。
もちろん長ければ長いほど行動に移せる可能性が極大化して行くことは言うまでもありません。
ナノ秒を極限化させてゼロの人生にするのも、永遠にすることによって自由自在の人生にするのも、あなた次第です。
少なくとも、先延ばしの人生を送っているあなたの行き着く先は、永遠に自由自在の人生ではなく、失意のゼロの人生が待っていることは間違いありません。
何故なら、あなたは、何もしていないのですから。