Chapter 53 夢を信じること

実在する世界と夢の世界との相対関係は、時間の経過による空間移動であると申しました。
わかり易く表現すれば、実在する世界が、『今、ここ』であり、夢の世界が、『次、あそこ』であり、『次』が時間経過して『今』になることによって、『あそこ』が『ここ』になることであります。
従って、夢の世界、即ち背景画面とは、舞台に移って行く前段階の映画の予告編であるわけです。
ところが、予告編であるべき背景画面が次の舞台の予告編でなく、全然関係のない世界が映し出されていたら、背景画面を信頼することはできません。
交差点で信号が黄色になったから、次に赤になると思って安全のために自動車を停止します。ところが信号は黄色からまた青色になったり、黄色のままだとどうしていいのか困ります。そして信号を信頼できなくなります。
卑近な例で申し訳ありませんが、大阪の交通マナーは悪く、死亡事故件数、違反件数において常に日本一で、交差点で黄色は当然、赤色になってからでも、4、5台の車が依然通過しています。
京都も交通マナーは大阪と同じで最悪です。
一方、東京は黄色信号でほとんどの車は停止します。次に赤色信号になることを信じているからです。神戸も東京と同じ傾向があります。
結局の処、信号は黄色から赤色に必ずなるのですが、その信号を設置した警察つまり、「お上」を全然信頼していないのが大阪や京都であって、信頼しているのが東京や神戸であるのです。
大阪や京都の不景気が東京や神戸に比べて深刻な原因はここにあると、わたしは思っています。
脱線して申し訳ありませんでした。
背景画面と舞台との間に相対関係があれば、背景画面を観ても信頼できるのですが、相対関係がなければ、まさに一寸先は闇になってしまって疑心暗鬼に陥ってしまいます。
わたしたちの人生はまさに疑心暗鬼の世界を生きているのが実態であるのではないでしょうか。
しかし、それが大いなる錯覚であることは、赤色の信号は時間の経過と共に黄色になり、黄色になればすぐに赤色になり、そこで待っていれば再び青色になることは間違いないのに、それを信頼していないわたしたちは、黄色になっても次は赤色になると信じていないことから起こっているのです。
そして結果、大きな事故を呼んでいるのです。
「お上」を信じるのが是で、信じないのが悪であると一概には申し難いことでありますが、背景画面と舞台との相対性は絶対宇宙まで包含したルールであるのですから、これを信じなくなったら生きてはおれません。
しかし、わたしたちは其様な中で生きておるわけですから、しょっちゅう事故を起こして人生四苦八苦になるのは仕方ないことだと思うのであります。
背景画面つまり夢の世界が、近未来に『今、ここ』に必ずなると信じる心こそが、舞台効果のある背景画面に、自由自在にできるノウハウであるのです。
宿命や運命という言葉は、背景画面と舞台との間にある相対性を言っておることに外ならないわけです。
この相対性を信じていれば、つまり、「お上」の決めたルールなら信用できないですが、宇宙の決めたルールであるから信じることができる筈で、人生は決して四苦八苦ではなく、『次』に楽しみを持った人生を送ることができるのです。
宇宙の法則をよく知る為に勉強して、それを信頼する想い(意識の状態)になれば、夢は、それこそ現実の世界になる予告編であり、また必ず実現する夢でもあるのです。
わたしたちが常識と思っていることを抜本的に見直すべき時期が刻一刻迫っているように思えてなりません。