Chapter 52 夢と現実の相対性

わたしたちの一日の活動は、朝、目が醒めることで始まります。
そこで、一日の活動を振り返ってみることで、自分が生きている舞台と、その背景画面がどんなものであるかを考えてみましょう。
目が醒めたら、寝床にいることに気がつきます。(目が醒めても自分の居場所をすぐに気がつかない場合もありますが、それは背景画面である夢が余りにも強烈過ぎて、実舞台を忘れてしまっている為に起こる現象です)
そこで、先ず目にするのは、自分が寝ている部屋ですが、その中でも最初に目にするのは天井です。
天井が最初の舞台であり、その時の背景画面は部屋です。
次に、寝床から離れて起きると、寝ている部屋全体が目に入ります。
今度は、部屋全体が舞台になり、その時の背景画面は、あなたが次に起こす行動の対象となる処です。たとえば、あなたは目が醒めて起きると最初にする行動はトイレに行くことだとすると、部屋の外にあるトイレが背景画面になるのです。
つまり、自分が居る場所、『今、ここ』が唯一の自分の居る世界である舞台で、次に起こすであろう行動対象『次、あそこ』が、『今、ここ』では見えないが、次に見えるであろう背景画面なのです。
そしてトイレに入ると、あなたの『今、ここ』はトイレになり、『次、あそこ』は次の行動対象に移っていくわけです。
わたしたちは常に、『次は、次は・・・』という想いで生きているが故に、『今、ここ』に常に居るにも拘らず、『今、ここ』に居ることを感じることが出来ずに生きているのです。
過去や未来のことに想いを馳せて生きているわたしたち。
『今、ここ』に想いを馳せて生きることが、なかなか出来ないわたしたち。
その原因が、『次は、次は・・・』という想いであるのです。
わたしたちは何故、『次は、次は・・・』という想いに執らわれるのでしょうか。
それは、『次は、次は・・・そして最後は死』ということを知っているからに外ならないからです。
死だけは未来であっても必ず起こることを知っているからであります。
その恐怖観念が、『次は、次は・・・』となるわけですが、『・・・そして最後は死』は考えたくないのです。
『次は、次は・・・そして最後は死』という想いであれば、『今、ここ』に戻って来れるのですが、『次は、次は・・・』だけで止めてしまい、終わりが無いものだから始まりが判らなくなってしまうのです。
わたしたちの生が袋小路に陥ってしまう根本原因がここにあるのです。
舞台と背景画面。
四階の席と、三階・五階の席。
実在の世界と夢の世界。
これらは、実は相対関係にあるわけです。
「神はすぐ傍」で論及しました、虚時間の世界である、『今、ここ』という絶対世界と、過去から未来への流れである実時間の世界である全体宇宙との相対関係であるのです。
静止の世界と運動の世界と言ってもいいでしょう。
それを、「夢の中の眠り」では静止画面と動画面と言っているのです。
要するに、わたしたちが、『今、ここ』に居ることが出来ないのは−実際には居るのですが、感じることが出来ないのは−最後にある死を認めながら直視したくない想いが分裂して、『次は、次は・・・』という中途半端な想いに執着した生き方になっておるからです。
従って、背景画面というのは、次に起こるであろう想いであるわけで、正夢で未来を予知できたと勘違いする原因もここにあるのです。
一日の活動という動画面を静止画面に細切れにすることで、背景画面と実舞台の認識をすることが出来るのです。