Chapter 48 脳以外の記憶装置の大事さ

脳以外の記憶装置が、わたしたちの身体全体に張り巡らされているのですが、残念ながら、わたしたちは上手に使っていないわけです。
脳の記憶装置ばかりを使っている頭でっかちが、実はわたしたちであります。
科学が進歩するのに比例して、この傾向は顕著になって行き、文明は科学の発展に依ると思っているわたしたち人類は、これからもどんどん頭でっかちになって行くものと思われます。
従って、残念ながら、わたしたち現代人の不安や悩みは、ますます加速されるでしょう。
地球環境問題が取り沙汰されていますが、この問題に従事している人たちに頭でっかちが多いのですから、地球環境問題の将来は決して明るくはありません。
出来れば自浄作用によって文明の呼び戻し−後退という消極姿勢ではなく−運動が為されるべきだと、わたしは思うのです。
その為には、人間の新しい評価基準をつくり、今までの筆記試験で成績の良い人間つまり頭でっかち人間に対する見直しを早急にするべきだと思っています。
高度経済成長期、学校のみならず、会社においても筆記試験で昇格人事をしてきた日本社会システムは、日本経済をここまで疲弊させた張本人である役人を、民間企業の中にも養成して来たのです。
今ごろになって、リストラを必死になってやっておる大企業がたくさんありますが、リストラをする企業ほど、ますます役人タイプばかりが会社に残って、結局は衰退して行くのは自明の理でありましょう。
頭でっかちが実践的でないのは、頭にある知識を体に命令する勇気が無いのです。
脳老化悪循環症候群とでも呼べる、一種の病気であると、わたしは思っています。
余計な知識があるものだから、こうしたら良いと思ったことを体に命令する前に、その先を読んでしまうのです。
人間、歳を重ねると、成功体験と共に、失敗体験も積み上げて行く結果、頭でっかちは、失敗体験ばかりを記憶装置に蓄積してしまう。
よく会社の会議などで、意見が出る度に、反論する阿呆がいます。
そういう連中は反論をすることが、頭が良いと勘違いしておるのですが、こういう連中が未だに日本社会では、この世的成功を収めておるのです。
青年時代を受験勉強だけで生きて来た連中です。
もちろん、知識は必要なのですが、その記憶の蓄積方法に問題があるのです。
まさに、「頭でっかち」と言うように、知識が身体の記憶装置に蓄積されてはじめて実践的知識になるのに、頭に蓄積するだけで止まっておるわけです。
従って、頭に入った知識は速やかに身体の適切な器官に記憶を移動させ、頭の記憶装置は、新しい知識をインプットする為に、できるだけ空にしておくことが大事なわけです。
身体の各器官に必要な知識を記憶することが、自己の存在に根を張った生き方ということであります。
頭に知識を詰め込むことが、自己の存在を頭に置いた根無し草の生き方であります。
頭(脳)というものは大事な器官ではありますが、コンピュータシステムで言えば、外部記憶装置であります。
コンピュータシステムが稼動する時は、外部記憶装置からデータをいちいち引っ張っていては間に合いません。
従って、レジスターメモリーや更にキャッシュメモリーという、コンピュータの中心であるCPU(中央演算処理装置)に最も近い処にある記憶装置が要るのです。
これが、人間の身体で言えば、各部器官なのです。
所謂、秀才型人材を優秀と考えている日本社会は、コンピュータシステムとしては、まことに性能の低いものと言わざるを得ません。
脳以外の記憶装置を機能させる能力を持った人間が、本当の優秀な人間であるのです。
そこで、脳以外の記憶装置を機能させるにはどうしたらいいのかが要点となってきます。