Chapter 47 脳以外の記憶装置

睡眠時間が減少すればするほど、熟睡時間の割合が増大し、REM睡眠時間の割合が減少します。
そして睡眠時間を3時間にまで減少させると、REM睡眠はまったく無くなるようです。
これは、わたしの体験談ですので、みなさんに適応するかは自信がありません。
比叡山で千日回峰行をされているお坊さんは、毎日3時間の睡眠だけで、昼間はお勤めをして、朝の3時に起きて、真っ暗な比叡の山を100キロも峰行されるそうです。
これは大変な労力を要するものですが、3時間の睡眠だけで健康を維持されている。
今、わたしの睡眠時間はきっちり3時間ですが、今年のはじめに体調を崩して、不眠症に陥ったことがあります。
原因は睡眠薬中毒でした。
睡眠薬を飲んでいる間は、本当に正夢を多く観ていました。しかも悪夢がほとんどの毎夜でありました。
そして、睡眠薬を服用するのを止めた途端、まったく眠ることが出来なくなったのです。
実際には、少し寝ているのですが、眠っている感覚が全然無いのです。
そんな状態が1週間ほど続いて、心身共に参ってしまいそうになった辺りから、夜明け前に一度だけ夢を観ることが出来るようになりました。
夢を観ていることを覚えているのですから、正夢であるわけです。
寝ていながら、まったく眠っている感覚がない状態から、ほんの1時間でも眠った感覚があり、夢を観た覚えもあるようになるだけで、すごく身体が楽になりました。
そして徐々に以前の睡眠パターンに戻っていって気がついたことがありました。
わたしの睡眠パターンはずっと3時間睡眠だったのです。
以前から3時間睡眠だったのに、体調を崩して、睡眠を多く採らなければと思うあまり、自分のペースを崩してしまったのです。
体調を崩す前も3時間睡眠でありましたが、正夢を観ていましたので、心身共にすっきりしていなかった記憶があります。
今も3時間睡眠ですが、正夢はまったく観なくなりました。
従って、夢を観た覚えがまったくありません。
もちろん夢を観てはおるのでしょうが、負夢であるので、目が醒めると同時に忘却してしまっているのでしょう。
そして、体調はよくなってきました。
夢を観た覚えがないのが、何よりも心身共に良いのです。
そして、目が醒めたと同時に、この「夢の中の眠り」を書いているのですが、インスピレーションがどんどん湧いてきます。
実は、Chapter45「変化を受け入れる」を書いたスタイルが、それまでとちょっと違っていたのです。
毎朝、散歩をするのですが、その時に意識を集中して纏めたものがChapter45なのです。
そして昼間に、その内容を書き上げようと思ったのですが、メモもしていないのでまったく思い出せないのです。
わたしの執筆スタイルは一切、参考文献もなく、メモもなく、まさに徒然なるままに書きます。時折、漢字がわからなくなったら、横に置いてある広辞苑を開ける程度です。
何とか切り口だけでも思い出して書こうとしました。
すると、思い出せなかった、散歩の時に纏めた内容がどんどん浮かんでくるのです。
インスピレーションの内容は頭で憶えていたのではなかったのです。
文を書く指が覚えていたのです。
ピアノを弾く方は御存知ですが、ピアノの楽譜は頭で憶えていません。
指で覚えているのです。
だから、あれだけの指裁きが出来るのです。
人間の記憶は脳だけではないのです。
身体すべてが記憶装置になり得る。
正夢を観ている人は、脳に記憶を多く貯めている人です。
こういう記憶を知識と言います。
負夢を観ている人は、記憶を引き出して実行する器官のところに記憶を貯めているのです。
こういう記憶を体験と言います。
ピアノを弾く人は、弾く指のところにある記憶装置に貯めているのです。
文を書くわたしも、書く指のところにある記憶装置に貯めているのです。
「夢の中の眠り」を書きはじめてから、正夢を観ることが無くなりました。
そして、今のわたしは、夜、眠りに就く前に、どんな夢を観たいのか想い描きながら眠りに入って行きます。
多分、想い描いた通りの夢を観ているのだと思いますが、覚えていないので説明は出来ません。
「真理は語ることができない。語ることができるのは真理ではない」
実は、この話をすれば、せっかく得たわたしの真理を真理でなくならせてしまうのですが、それをみなさんにお伝えするのが、わたしの使命であると思っているのです。