Chapter 43 わたしは名無しの権兵衛

わたしたちは本来名無しの権兵衛であります。
生まれたばかりのわたしは、新田論などという名前など知るべくもなかったのです。
あとで命名されただけのことで、生まれたばかりの名無しの権兵衛にはまったく関りのないものであるのに、今では、『私は新田論』と信じておるのです。
夢を観ているのは、ひとりだけの席がある自分だけの劇場で観ているわたしだと申してきました。
三階から五階まである劇場です。
席はどの階もひとつだけです。
つまり自分だけしか座れないのです。
そこに座る自分は、当然、本当の自分、つまり「名無しの権兵衛であるわたし」であります。
ここのところを間違えないでください。
三階や五階で映画、つまり夢を観ているのは本当の自分ではなく、四階で舞台を観ているのが本当の自分だと勘違いしないでください。
どの階の席で観ても、観ている者は、本当の自分であります。
ただスクリーンに映っている映像を観て、画面に自己も同化してしまって映像の中の登場人物と思い込むことによって、席に座っている自分を失念してしまうだけです。
三階と五階の席からは舞台が見えずに−見えにくいと言った方が適切でしょう−背景のスクリーンだけが見えるから、映画の中に同化し易いわけです。
四階の席からは背景画面のスクリーンもよく見えますが、その前にある舞台もはっきり見える。しかも舞台では実在する人間が芝居をしているのですから、背景の映像より遥かにリアルなのです。
従って、本当の自分つまり名無しの権兵衛である「わたし」は常に席に座っているのです。
先ず、この点を充分理解して頂かないと次に進むことはできません。
名無しの権兵衛は席に座って映像も舞台も観ている「わたし」。
新田論は、映像の中で一緒に演じている「私」。
従って、夢を観ているのは、本当の自分である「わたし」であるのです。
次に、夢に登場している「私」は新田論という芸名がついているのですが、夢を観ている際、「私」が登場してくると、その人物が新田論だという名前だと認識しているか否かの問題に入ります。
夢の本質からすれば、夢を観ているのは名無しの権兵衛でありますから、自分でない登場人物の名前ははっきり認識していますが、「私」が登場した時、それを新田論だと認識できません。
「いや、自分は夢の中で自分の名前がはっきり出て来る」とみなさんは確信を持って言えるでしょうか。
自信がない筈です。
それでいいのです。
それでいてはじめて、夢を観ているあなたが本当の自分であり、名無しの権兵衛であることを気づいていないけれど、知っているのです。
ただ気づかなければならない課題が残っているだけです。
問題は、夢の中で登場する自分が新田論であると認識していたなら、これは大いに問題ありと思わなければなりません。
鑑賞者である、本当の「わたし」を完全に忘却してしまい、映像の中にいる新田論が鑑賞者でもあると思って夢を観ているのです。
即ち、夢を観ているのに、夢を観ていると思わずに、現実だと思っているのです。
ここで、みなさんに訊いてみましょう。
あなたは、夢を観ている真最中、夢を観ていると思っていますか?
「うん。自分は夢の中でも、これは夢だと認識している」
と答えるあなたに、もう一度点検して頂きたい。
夢から醒めた直後だから、夢を観ていたと思っているだけではないでしょうか。
特に、悪夢や楽夢という正夢を観ると、目が醒めてからも夢を引き摺っているわけで、それで夢を観ていると勘違いしているのではないでしょうか。
夢の中に登場している自分を、鑑賞者の自分と勘違いしている証明であります。