Chapter 39 本当の自分

『今、ここ』に自分を置く。
どうしたら置くことが出来るでしょうか。
逆に考えれば、わたしたちは『今、ここ』に居るにも拘らず、『今、ここ』に自分を置かずに、過去か未来に自分を置いているのです。
従って、『今、ここ』に居ながらにして、過去か未来に置いている自分との相対関係を鳥瞰すればいいのです。
『今、ここ』に居る自分は肉体としての自分だけです。
過去か未来に置いている自分は想いとしての自分です。
肉体の自分と想いの自分があるわけで、先ず肉体と想いの区分けをしてみましょう。
普段、わたしたちは、肉体を自分だと思い、その肉体の中に想いが包まれていると感じています。
他の生き物の場合は、想いがそのまま肉体となっているので想いの存在を感じません。
ところが人間の場合は、想いがすぐそのまま肉体にならずに、勝手にうごめくものですから、想いの存在を感じるのです。つまりそれが心であるのです。
目から入ってくる外界の景色情報は網膜というスクリ−ンを通って、大脳で処理されて体の諸器官に伝わるのですが、人間の場合には、大脳新皮質で更にもう一回スクリーンにかけられる。
このスクリーンが善悪の判断をするスクリーンで心が存在すると思う根源なのです。
従って、心というものは、そもそも善悪の判断だけをする機能しか持っていないのに、善悪二元が、好き嫌い二元、是々非々二元、男女二元、強弱二元、上下二元、賢愚二元、貧富二元・・・・・と限りなく枝分かれして行くわけです。
そして、この二元的連想を心と思い、そういった心の持ち主を自分だと錯覚しているのですから、精神が分裂しているのは当然であるのです。
そこで先ず、肉体と分裂した想いを分離してみるのです。
分離せずに、想いを削除したら肉体も削除する危険性があるからです。
肉体を持って生きているわたしたちにとっては、まさに命取りになります。
そこで先ず、想いの自分が、肉体の自分を1メートル離れたところから眺めているイメージを描きます。(自己客観視の練習です)
1メートルの距離が5メートル、10メートル、50メートル、そして100メートル。
100メートルぐらいまでなら、目で確認できます。
目で確認できるおよそ100メートルまで、肉体の自分と、想いの自分を分離してみる。
そうしますと、肉体が自分だと思っていた想いが徐々に薄れていき、最後には肉体は自分ではないと思うようになります。
その瞬間(とき)、想いの自分は、『今、ここ』にいることを自覚できるのです。
本来、想いも肉体の一部でありますので、『今、ここ』に居るのが当り前なのですが、分裂しているが故に、想いは、『今、ここ』から遠ざかって行くのです。
距離が離れれば離れる程、肉体への想いは薄らいで行きます。
そして自己が肉体の一部であることを強く自覚するようになり、自然に『今、ここ』に居るのを感じるようになるのです。
つまり時間を超越した想いの自分を発見できるのです。
それが、『今、ここ』に居る自分であり、本当の自分であるのです。
今、あなたは歩いている。
歩いている自分を1メートル離れて眺めてみる。
更に5メートル、10メートル、50メートル、そして100メートル離れて眺めてみる。
今あなたは何処にいますか?
想いの方ですか?
肉体の方ですか?
想いの方にあれば、あなたは、『今、ここ』を歩いている。
肉体の方にあれば、想いは居なくなっているから、あなたは、『今、ここ』を歩いている。
すなわち、あなたは歩いているのではなくて、歩きそのものがあなたになっている。
歩く時にはただ歩く。
食べる時にはただ食べる。
セックスする時にはただセックスをする。
それを歩きながら、食べることを思う。
食べながら、セックスすることを思う。
セックスしながら、他の人のことを考える。
それが普段の、『今、ここ』にいないで過去や未来に居るあなたです。