Chapter 38 『今、ここ』という王宮劇場

Chapter36「舞台効果」で、知るということ、実行するということは、実はそんなに難しいことではないと申しました。
『今、ここ』という言葉を、わたしは大事に使ってきました。
普段「自分」だと思っている意識は、無数にある島々のひとつだと考えたらわかり易いでしょう。
しかし、島々は海底で繋がっています。
わたしたちの個人、個人の意識も実は海底では繋がっているのです。だからわたしの意識も、あなた方それぞれの意識もみんな海底で繋がっているのです。
普段、自分だと思っている意識を個別意識と言うのですが、それを、新田論という島だと思っているのです。
あなた方の個別意識もそれぞれ自分の名前を持っています。
しかし、海底では新田島も他の島もみんなひとつでありますが、わたしたちは、そう思って生きていなくて、飽くまで個別の新田島と思い込んでいるのです。
本当の自分とは、わたしたちがみんな海底で繋がっていることを知っていて、新田島の考えることよりも、海底から湧き上がって来る考えの方を優先する意識なのです。
ここを間違ってはいけません。
海底の意識−心理学では集合意識と呼ばれています−が、本当の自分ではありません。
やはり新田島は新田島であるのですが、海面上にぽっかり浮かんだ氷山のような新田島ではなく、海底で大いなる地底と繋がっている新田島であることを、先ず知ることだと言っているのです。
ぽっかり浮かんでいる新田島にもいろいろな想いがあって、それが偽の自分だと言っているのではありません。
新田島も、海底から大いなる意識が常に囁きかけているのであって、それをぽっかり浮かんだ独立した島だと思い込むと、その囁きが聴こえなくなるのです。
この囁きを聴こうとする新田島が本当のわたしなのです。
この囁きを聴こうとしない新田島が複数のわたしなのです。
集合意識が本当の自分ではありません。
聴こうとするか、聴こうとしないか。
この違いだけなのです。
簡単過ぎるが故に気づかないのです。
「心の旅の案内書」では、「根」と表現していますが、囁きを聴こうとする自分の居場所が「根」にあり、囁きを聴こうとしない自分の居場所が「頭」なのです。
普段、わたしたちが自分だと思っているのは「頭」に居るのです。
「頭」にいる自分は、五感を通して外界と接しています。
特に、目を通して外界と接しています。
そして、目を通して見た外界は、実は目の網膜に映った映像に過ぎないのに、現実の世界と勘違いしているのです。
従って、わたしたちが「頭」に居ると思っている限り、単なる映像を現実と勘違いし続けるわけで、四六時中、夢を観続けていることになるのです。
そんな自分を新田論と思っているのです。
先ず、島の名前を横に置くことです。
そして、「根」にある自分に新しい名前をつけてあげることです。
そうしますと、二つの名前を持った自分になり、先に持っていた名前の自分が、すごく傷つきます。一種の嫉妬心のようなものです。
その瞬間−『今、ここ』です−複数の自分を代表して新田論だと思っている自分こそが、すべての問題の根源であることに気づきます。
すべての問題の根源である新田論のことを、自我意識(エゴ)と言うのです。
エゴを傷つけると、自然に「根」に居る本当の自分が湧き上がって来るのです。
結局の処、「根」に居る本当の自分からの囁きを聴こうとするには、『今、ここ』にいるしか無いのです。
四階にある、実舞台を観ることが出来る席とは、『今、ここ』であるのです。
ほんの瞬間でも、過去に行ったり、未来に行くや否や、三階に落ちるか、五階に舞い上がるわけです。
夢である背景画面を自由に操る為には、先ず四階の席に座らなければなりません。
何故なら、三階も五階も、そこからは実舞台は見えず、背景画面を実舞台と錯覚しているのですから、自由に操ることが出来るわけがないのです。
さあ、先ず、『今、ここ』という、四階にある、あなただけの王宮劇場の席に座りましょう。