Chapter 32 負夢の正体

正夢を観ていることが、実は人生四苦八苦を感じさせる源であるのですが、所謂、一般に言うところの楽しい人生の源でもあるのです。
わたしたちが理解しているところの楽しい人生とは、五感で感じる快感つまりいろいろな欲望を満喫させてくれる生き方であるのです。
その中でも目は五感の中で一番よく働く器官で、殆どの欲望は目を通して見るという行為から生まれます。
例えば、性欲を満喫させるのは五感の中の肌でありますが、先ず目を通して肉欲の対象を設定します。
お金を欲しいという欲望は実はないのです。
おいしいものを食べたいためにお金が欲しい。
美しい女性とセックスをしたいためにお金が欲しい。
自己顕示欲を満喫したいために権力が欲しい、その為にお金が欲しい。
お金は手段であるだけで欲望そのものの対象にはなり得ません。
そして他の五感(厳密には四感)を刺激する欲望も結局は目を通っているのです。
そこで、ふたつの目を通して発生する欲望を満喫させると、一般に言う楽しい人生になるのですが、それは正夢を見る原因に外ならないのです。
正夢には楽夢もありますが、悪夢もあります。
「お金を持つとどれだけいいだろう。殆どの悩み・苦労は解消される。借金地獄も最早ない。欲しい家もブランド服も手に入った。素敵な異性とも恋愛できた。もう何もかも満喫できた」
と思われている方に訊いてみましょう。
「何もかも満喫できたのですか?それとも今なお満喫しているのですか?」
功なり名をとげた、その人は答えます。
「もうそれらは充分満喫できたから飽きたよ。こんどはお金では買えない物が欲しいんだが、一体それは何なのかわからないで悩んでいる」
結局の処は、また悩んでおるのです。
そしてその究極の処に、悟りという欲望が待ち受けているのです。
宗教がこれほどの広がりを見せている原因は、結局のところ欲望であるのです。
そして、正夢がそのバロメーターになっておるのです。
そしてその正夢の対角線上にあるのが負夢であります。
負夢こそが、ひっかかりの無い心、肉体に執らわれない心、つまり真の悟りを示すバロメーターであるのです。
夢を観ているのに観ていない。
しっかり演じている実舞台の後ろで美しい背景を提供してくれているが、でしゃばることはない映像。
それが負夢であるのです。