Chapter 31 楽夢と悪夢

日々、反省という消しゴムで、自我(エゴ)の発生原因である幼児体験の記憶を丁寧に消去することで、悪夢を観ないようにする。即ち不幸感覚を持たない人生を送ることが出来るのです。
不幸感覚を持たない人生とは、即ち幸福感覚を持った人生であります。
しかしながら、前にも申しましたように、不幸感覚と幸福感覚は一枚のコインの裏表であるのですから、裏の面が消去されますと、表の面も実は消去されてしまうことを忘れてはいけません。
常に幸福感覚で生きる、つまり人生を楽しく生きるということは、不幸感覚で生きるより良いに決まっているのですが、それは不可能なことであるのです。
「人生を楽しみなさい」ということは、「四苦八苦の人生を送りなさい」ということでもあるのです。
楽夢を観るということは、悪夢も観るということなのです。
それは両方とも正夢であるからです。
従って、『反省』という消しゴムで記憶を消去するということは、正夢を観なくする作業であって、夢すべてを観なくするわけではないのです。
引き摺る夢を観なくするだけで、引き摺らない負夢はやはり観るのですが、負夢は覚えていないから、結局は夢を観ていないのと同じであるわけです。
わたしたちの人生とは、夢舞台という映画を背景にしながら、その前の実舞台でひとり芝居が演じられているようなものでありますから、夢も必要なのです。
必要なものは与えられます。
つまり生きている限り、夢も四六時中観ているのですが、問題は主人公のわたしたちそれぞれが、夢そのものを自分の人生そのものだと勘違いしていることなのです。
夢は確かに実舞台の背景として、実舞台を彩る役目を持っていますが、肝心の実舞台を忘れていては芝居になりません。
勘違いをするのは、正夢を観るからであります。
『反省』することが如何に大事なことであるかの要点がここにあるわけです。
お釈迦さんが唱導したという八正道とか中道の精神。
イエスが諭した、『悔い改めよ、さすれば汝は救われる』
これらの教えは、まさに『反省』することを説いているのです。
そしてその要点は、日々蓄積される記憶を、その日のうちに消しゴムで消去することに尽きるのであります。
やはり、わたしたちが存在している世界が三次元立体世界を時間が支配する時空の世界である以上、二元論的運動は避けられないのです。
不幸感覚つまり苦悩・不安の人生を否定するなら、幸福感覚つまり楽しい人生も否定することになることを、しっかりと認識しておく必要があります。
Chapter30の冒頭で、「人生を楽しく生きることができたら、わたしたちの考え方はどうなるでしょうか」という問に対する解答なのであります。
悲しいことや苦しいことばかりは続かない、その後には必ず楽しいことや嬉しいことがやって来る。
逆もまた同じであります。
正夢の正体がここにあるのです。