Chapter 28 歪な繰り返し

わたしたちが悩み、苦しみながら生きている人生、そして時折幸せを感じる人生、この歪な繰り返しの人生を、わたしたちはどう捉えているのでしょうか。
お釈迦さんですら、人生は四苦八苦だと言われたようですから−お釈迦さんが本当に言われたどうかはわかりませんが−凡夫のわたしたちなら、そう思っていても仕方ないのでしょうが、もう一度考え直してみるぐらいはいいのではないでしょうか。
そこで、何故悩み、苦しみは長く続き、その合間に瞬間的に幸せを感じる歪な繰り返しなのかを先ず検証してみる必要があります。
確かに、わたしたちが生きてきた今までのことを振り返ってみると、幸せを感じたことは多々あったけれど−中には、ほとんど幸せを感じた経験などなく苦渋に満ちた薄幸な人生だったと言われる方々もおられるでしょう−感じた瞬間、その幸福感は消えてしまい、もう次の悩み、不安が襲いかかってきて、それは延々と続いて一体いつになったらこの袋小路から抜け出せるのかと思うぐらいしつこく付きまといます。
この歪な繰り返しのメカニズムを解明しない限り、人生四苦八苦を渋々でも受入れざるを得ないわけです。
また一方で、人生は楽しむものだと、どこかの偉い坊さんに言われても、一体全体どっちが本当なのかと、わたしたち凡夫は迷ってしまいます。
気持ちとしては、人生は楽しむもの、と誰もが思いたい筈です。
ここまでお話をするだけで、何となく暗いトンネルの先に一点の光明が射して来たと感じられる、精神が極めて精妙な方も中にはおられます。
まだ真っ暗闇の中におられる方が大半でしょうが、実はもう答えは出ているのです。
これからは、各自固有の人生ですから、各自に合わせて問題の解答を出さなければならないのです。
しかし、そうしますとみなさんここで止まってしまうでしょうから、もう少し話を嫌々ながら進めて行くことにします。
歪な繰り返しの不幸感覚と幸福感覚の人生を送っているわたしたちは、この歪な繰り返しを、人生四苦八苦と受入れてしまっている嫌いがあります。
しかし、人間といえども自然の世界に組み込まれているわけですから、自然の法則、もっと大きく考えれば宇宙の法則が厳然と働いている世界にいるわけですから、繰り返しの法則はあるけれど、歪な繰り返しはあり得ないわけです。
山と谷の繰り返しだが、山と谷の大きさ、長さはまったく同じであるのが法則なのです。
そうしますと、不幸感覚が長く続くなら、幸福感覚も長く続く、幸福感覚が短い期間しか続かないのなら、不幸感覚も短くて済むのが、法則に則した見方である筈です。
ところが、現実はそうでない。
この違いの原因は一体何処にあるのでしょうか。
自然の法則の中に、歪な繰り返しのメカニズムもひょっとするとあるのかもしれない。もしくはそういう見方をしている張本人は自分自身であり、肝心の自分の見方がそもそも間違っているのかもしれない。
実は、自分の見方と歪な繰り返しのメカニズムとは表裏一体のコインであり、ふたつの見方ではないのです。
幸福感覚と不幸感覚は歪な繰り返しをするものだという見方をわたしたちがするから、自然も歪な繰り返しを実現させているのです。
卵がわたしたちの見方であり、鶏が自然の法則であるわけです。
飽くまで種はわたしたちの見方であり、芽であり幹であり花であり実であるのが自然の法則であるのです。
原因は、わたしたちの見方にあることを知らなければなりません。
従って、見方・観点を変えない限り、わたしたちはこの不幸感覚と幸福感覚の歪な繰り返しの人生の呪縛から抜け出すことは不可能であることがわかってきました。
ここで再び、ターニングポイントに差しかかりましたが、先程はみなさんの為に敢えて譲歩しましたので、ここではー旦打ち切ることにします。
その方が、結局みなさんの為になると思います。
もう明るい世界の入り口は見えているのですが、それをトンネルの出口だと思っているから一点の光明が見えない、という真理を思い出してください。