Chapter 24 真理はどんでん返し

白昼夢を観るのは、肉体が目を醒ましている時で、つまり本人は現実の世界だと思って生きている時であるわけです。
自分だけの劇場のひとつしかない観客席でシネラマ映画を観ているのに喩えるとわかり易いでしょう。
普通の映写機は背後から正面のスクリーンに映すだけですが、シネラマ映画というのは、3台の映写機が、極端に言えば、背後、右90度、左90度の方向から、正面のスクリーン、左90度に向いたスクリーン、右90度に向いたスクリーン即ち、270度の角度を持ったスクリーンに映像を映し出す映画なのです。
360度で完全立体なのですが、立体映写機を開発できるまでは行っていなかった昔の技術としては270度の世界を映す疑似立体映写機であったのです。
270度の枠の中に観客席があって正面、左、右視界すべてに映像が見えるわけですから、まさに自分も映像の中に同化しているような錯覚を起こすのです。
自分の世界は、自分ひとりだけの為に据えられた観客席兼演出者席兼演技者席しかないことを、理解されていない人がまだいらっしゃるようです。
そのような方は、シネラマ映画を観ておられるのです。
本来は正面のスクリーンに背後から映す1台の映写機だけの世界なのですが、シネラマ映画を観ておられる方は、実際に有り得ないのですが、左右隣にいる他人を想像して、それぞれの隣人の映写機が映し出したスクリーンを左右ひっくり返して、自分のスクリーンの両側に映し出して、恰も270度の世界を360度の実体世界と錯覚するように自己催眠をかけている人たちなのです。
何故そのようなことをしでかすのでしょうか。
先ず、自分を、スクリーンに映っている映画に同化させることによって、観客席で観ている自分を忘れさせている。
そして、映画を観ている観客を、実際には存在しない、隣人という他人だと思い込んで−自分が映画の出演者、まして主役を演じているのですから観客を期待する結果、これまた疑似観客を想像している−いて、他人のスクリーンに映っている映像と自分の劇場に映っている映像を合成してシネラマ映画にしている。
結果、恰も三次元立体世界のような錯覚を起こさせ、現実の世界のように思い込んでいるのです。
目の網膜というスクリーンに映っている所詮映像を観ているのが、わたしたちが現実の世界だと思い込んでいるものなのですから、実体の世界など目を通して見ることなど不可能であることを、肝を据えて自覚することです。
自分ひとりだけの世界であることを理解できない人は一体どういう人なのかと言うと、他人の目ばかりを気にして、肝心の自分の目を気にしていない人のことです。
本当の自分を見失っている人なのです。
そういう人たちが、自己中心的になるのです。
他人の目を気にする人は、一見他人を配慮しているかの如く見えるが、実は他人のことなど構ってなどいないのです。
自分の目を気にする人しか、他人のことを配慮することは出来ないのです。
何故なら、自分の目は実像を追いかけているからです。他人の目を気にするとは虚像を追いかけていることに外ならないのです。
シネラマ映画は疑似立体映画です。要するに普通の映画よりもより巧妙なごまかし映画であるのです。
巧妙になればなるほど、自我意識(エゴ)と同じで、よりリアルに一見見える。
悟りを探求すればするほど、この巧妙な罠が待っていることに、注意深くいることが肝要であります。
人間の根源にある欲望は、悟りを得たいという欲望なのです。
だから人間なのです。
あなたは人間ですか。
それとも本能的欲望ばかりを追いかけている生き物ですか。
それはあなたが一番よく知っているはずです。