Chapter 22 夢遊病者

わたしたちが生きている世界の概要が見えてきました。
ひとつのユニークな劇場がわたしたちそれぞれの世界なのです。
このユニークな劇場は、他の誰も立ち入ることが出来ないわたしたちひとりひとりの固有の世界であって、まさに自由の王国であり、わたしたちひとりひとりが王であり奴隷でもあります。
王になるのも、奴隷になるのも、わたしたちひとりひとりの心の持ち方ひとつであります。
まったく100%自由な、わたしたちだけの王国であります。
今、まさに、わたしたちそれぞれが自分の王国で生きているのです。
ところが、肝心のわたしたちは、自分の人生を四苦八苦しながら生き、生老病死に苦しみながら生きています。
一生、四苦八苦、生老病死に苛まれながら生きているなら、まるで奴隷で一生過ごす人生と変わりはありません。
奴隷の一生でも幸福に感じる時はある筈です。そうでないと、一生生き続けることは不可能でしょう。人間の心身は、苦痛にそんなに長く耐えることが出来ません。結局、奴隷は自ら命を絶つことでしか、人生の苦痛から自らを解放することは出来ないでしょう。
しかし、奴隷も生きて来れたのは、苦痛の中にも喜びの一瞬があったからではないでしょうか。
結局の処、わたしたちは折角の自分だけの王国にいながら奴隷の人生を送っているのではないでしょうか。
ますます荒んで行く人間社会、そして人間に侵食されていくわたしたちの地球は一体どうなるのでしょう。
この問題を解決する方法は必ずある筈です。
何故なら、わたしたち人間が創造した問題なのですから、わたしたち人間の手で解決するしかないし、またしなければならないのです。
わたしたちひとりひとりが夢から目を醒ますことによって、先ず、わたしたちひとりひとりが自分の王国で奴隷になり下がっている自分を解放して自ら王になることです。
自分だけの劇場で、スクリーンに映された映画を自分の生きている世界だと勘違いしているわたしたち。
映画の中に感情移入して一喜一憂しているわたしたちは、映画の中に入っていくことは不可能なことであることに早く気づかなればいけません。
不可能なことを可能にしようとする、わたしたちの心こそが、折角の自分だけの王国を奴隷の世界に変えてしまっているのです。
映画に自己を同化させず、自分の王国の真の世界は、自分の前に広がる舞台であり、映画は飽くまで真の舞台を色どる背景に過ぎないことに目醒めることです。
わたしたち人類は、今や修羅の世界を映し出している映画に見入ってしまっているようです。
よその国のことにヒステリックになるアメリカの大統領やその側近たちを見ていると、まるで夢遊病者の顔つきです。
もう彼ら自身の王国では、戦争の映画が始まっているのです。そしてその戦争の映画の中で英雄になっている自分の姿に感情移入しているのでしょう。
そうでないと、所詮合法的だと言ってやる人殺しに手を染めることに良心が痛まない筈がありません。
彼らこそ、夢から目を醒ますべきであります。
アメリカから経済制裁を受けていたキューバという国が今変身しつつあります。
近代農法で作物を大量栽培するために必要な化学肥料、農薬が経済制裁で手に入らない。仕方なく地力だけで農業を始めた彼らは、無農薬の自然食品を手に入れることができたのです。
経済制裁で石油が手に入らない。仕方なく馬糞を燃料にする昔の知恵を思い出し、太陽の光の恩恵を多く受けていることに着目して太陽光発電の普及に努力した結果、クリーンエネルギーの普及において世界の先端を行く国キューバ。
アメリカの経済制裁が、21世紀の新しい国の在り様を示唆した皮肉な現象ではないでしょうか。
アメリカという国が、いよいよ凋落の道を歩み始めたのは間違いないでしょう。
これから彼らのすること為すことすべて裏目に出るのは、この21世紀の世界の流れを見ていて確信しているのはわたしだけでしょうか。
早く、自分だけの劇場にある映画に見入ることを止めて、舞台に目をやり、その舞台で演じ、演出し、そして楽しく鑑賞する自分を見出すことです。
そうすれば、素晴らしい景色の背景が後ろのスクリーンに映し出されている映画に、ふと気がつくことでしょう。
「ああ、何と奇麗な花だろう!」と思うでしょう。
今のわたしたちは、「ああ、何と奇麗な花だろう、何という名の花なんだ?桜という花で、ほんの少しの期間しか咲いていないらしい。それなら家に持ち帰って部屋に飾っておこう」と勘違いして、スクリーンに映っている花に手を差し伸ばして、取ろうとしているあさましい夢遊病者なのです。