Chapter 21 あなたは何処にいる

わたしたちは日々生きています。
確かに、生きています。
あなた方は、目の前に広がる世界を実体のある世界だと思っているでしょう。
しかし、あなたの目の前に広がる世界は、世界の一部分であります。
わたしは、今、ベッドの上で、「夢の中の眠り」Chapter21を書いているのですが、わたしの目の前に広がる世界は、わたしの部屋の光景だけです。
ドアーを開ければ、もう少し広いスペースがわたしの世界に入ってきます。
しかし、みなさんが、今何をされているのか、わたしの世界には映っていないので見ることができません。
しかし、知識の上では、わたしも、みなさんも同じ地球の上に住んでいると思っているのです。同じ日本に住んでいると思っているのです。
自分の世界は所詮小さな部屋であるにも拘らず、そう思っているのです。
つまり、わたしだけの世界を具象化してくれる劇場の舞台では、スクリーンには自分の部屋、自分の家、住んでいる町、大阪、日本列島、そして地球、もっと想像を豊かにすれば、太陽系、銀河・・・と広がって行くのです。
しかし、リアルな世界の舞台はわたしの部屋だけで、そこでわたしが執筆しているわけです。
その舞台を映画のスクリーンを背景に観ている観客としての、わたしもいるのです。
劇場の席に座っている観客のわたし。
舞台で演じているわたし。
背景の映像。
これらが混在しているのが、肉体を有して生きているわたしの世界であるわけです。
問題は、自分をどこに置くかであります。
背景の映像の中に自分を置くことは、自己を失うことですから論外でありますが、わたしたち人間の殆どは映像の世界に自分を置いて生きています。
すなわち、四六時中夢を見て−この場合は「観て」ではありません−生きているのです。
すこし感性が鋭くなり、ものごとを洞察する機能が働くようになりますと、自分だけの劇場で観客となって映像を観ている自分に気づきます。
すなわち、今まで現実の世界だと思って生きていたのは映像の世界で、それをただ観ている観客の自分がいることに気づくのです。
この状態になるには、感性が鋭くないと、なれません。
更に、映像以外に実体のある舞台が映像を映しているスクリーンを背景にした前にあることを知るに至ります。
この状態になるには、洞察する力がなくては無理です。
実は、今、ここにいる自分だけが、舞台で演じていることを更に知るのです。
そこで初めて、観る自分と観られている自分がいることに気づきます。
観る自分は、時には映像を観て、時には舞台にいる自分と映像をラップして「ああだ、こうだ」と思っています。
観られている自分は、その瞬間瞬間を生きている自分の姿ですから、「ああだ、こうだ」と思っている世界にはいません。執筆しているなら、ただ執筆しているだけです。
よい内容のものを書きたいと思ったら、「ああだ、こうだ」の世界になって、それは舞台で演じている自分ではなくて、ただ映像を見ている自分だけです。
舞台で演じている自分と、劇場の席で観客として観ている自分が一体になった時、演出している自分になり得るのです。
そうなれば、自由自在の自分が忽然とあらわれるのです。
映像を観るもよし。
舞台を観るもよし。
舞台で演じるのもよし。
舞台を演出するのもよし。
そうすれば、映像の世界も自由自在に演出できる自分に気づきます。
その瞬間、初めて夢の世界と実体の世界がひとつになるのです。