Chapter 199 宗教 VS 科学

わたしたちが生きている世界は、Material(物質的な)なことと、Immaterial(非物質的)なことがあるだけで、目に見えるものがMaterialで、目に見えないものがImmaterialであって、目に見えないものがMentalであるのではないのです。
つまり唯物的なものと、非唯物的なものがあって、唯心的なものがあるわけではない。
このことは、実はとてつもなく衝撃的なことです。
苦しいときの神頼みをしてきたわたしたちにとって、神の存在、そして神の存在を明らかにしてくれる宗教の根底が覆されることになりかねない。
見えないものの存在を否定しているのではなく、見えないものは、知らないもの、未だ発見していない未知なものだけであって、決してそれはMentalなものではないと言っているだけです。
宗教では、未知なものをすべて目にみえないものとしているのです。
何故なら、宗教の宗教たる所以は、神と言ってもよいし、天と言ってもよいし、太陽と言ってもよいが、崇める絶対的なものがあって、絶対的なものには未知なものがないという考えが根本にある。
わたしたち凡夫は絶対ではないが、神は絶対なものである。だから神を崇めるわけであって、宗教の宗教たる所以は、崇めるものと崇められるものとを区分けしているところにあるのです。
崇めるわたしたちは不完全なものだが、崇められるものは絶対完全なるものだと言うわけです。
しかしそんな宗教を創ったのは外でもない、不完全なわたしたち人間であるという自己矛盾が生じる。
そこで、崇められる絶対完全なるものから、ご託宣を受ける預言者を仲人として立てた。
それが宗教を興した教祖様です。
従って、教祖様は神の化身の絶対完全なるものでなければなりません。
しかし、そんなことを証明できる筈がない。
そこで、わたしたち人間にとって目に見えないもの−本来Immaterial(非唯物的)なもの−を唯心的(Mental)なものとして、その名が示す通り、心を目に見えない代表に仕立て上げたわけです。
"はじめにことば(心)ありき"で、魂ありき、霊魂ありき、あの世この世ありき、見えない心、魂、霊魂は不滅なり、天国と地獄ありき、天使と悪魔ありき、そして神ありき。
次から次へと、目に見えないものを唯心的(Mental)なものとして創っていった。
所詮、わたしたち人間にとって未知なものであっただけのことで、間違いの根本は、未知なものを唯心的(Mental)なものとした点にあるのです。
従って、未知だったものが未知でなくなったら、未知なものに依存している宗教は根底から崩れてしまうことになる。
アインシュタインが言ったように、余りにも知らないこと、未知なものが多すぎる、わたしたち人類ですが、それは唯物的(Material)と非唯物的(Immaterial)という程度の違いであって、唯心的(Mental)なものではないのです。
科学がひとつひとつ解きほどいていくでしょうが、それは永遠のテーマです。
永遠のゴールなき道を歩む中で、宗教はほんの一通過駅に過ぎないことを、わたしたちは認識する必要がある。
21世紀には、宗教が消滅すると申しました理由がここにある。
永遠の道ですから、また新たな駅に出会うでしょうが、それは一度通過した駅とは違うことは明白です。
新たな駅を再び、新たな宗教という名の駅にするか、新たな科学という名の駅にするかは、旅をするわたしたち人類次第です。