Chapter 194 二十一世紀は宗教が消滅する

宗教というものがあります。
嘗てソビエト連邦とアメリカ合衆国が激しい冷戦を続けていた頃、共産主義思想の盟主であったソビエト連邦の指導者たちは宗教を麻薬だと切って捨てました。
共産主義思想は唯物主義思想であると言われる所以がここにあるのでしょうが、では一体共産主義思想の何処が唯物的なのでしょうか。
肉体が死んでも想い(心)は永遠に生き続けるという考えが唯心的であるのですから、逆に肉体が死んだら、それですべてはお終いという考えが唯物的であるわけです。
つまり目に見えるものしか信じないのが唯物的であり、目に見えないものの存在をも信じるのが唯心的であると言えるでしょう。
肉体が死ぬと、体は自然に腐化して最後には消滅して見えなくなってしまいます。
それを以ってすべてお終いとするのが唯物的であり、肉体は消滅しても残存しているものがある筈、それを意識と言ってもよいし、魂と言ってもよいし、心と言ってもよい。
目には見えない心というものは厳然と存在していると考えるのが唯心的であると言えるのでしょう。
共産主義思想の根幹と何ら関係のない、この唯物若しくは唯心思想というのは、一体何処から生まれたのでしょうか。
輪廻転生の考えの根本にあるのは、目に見えないものの死後の存在について論及していることだと言えるでしょう。
目に見えるものは、はっきりしている。
肉体が死ぬと、土葬で埋葬されても、荼毘に付されても、結局の処は、地球の塵となり灰となって行くことは間違いありません。
従って、輪廻転生の考えと、唯心的な考えとは表裏一体のものであるわけです。
そうしますと、輪廻転生を肯定するということは、目に見えないものの存在を信じることに外ならない。
そこに宗教が付け込む隙ができる。
宗教が利益を追求するビジネスの形態の一種だと申しました所以です。
共産主義思想は、利益を追求する一切のビジネスを否定した考えです。
共産主義が自由資本主義に敗北した理由は、経済政策の失敗であったかの如く巷間では言われているけれど、実は、宗教を麻薬と断罪した結果ではないかと思うのです。
ビジネスを否定することが、経済そのものを否定するだけなら、共産主義は崩壊しなかったかもしれない。
宗教を否定することが、ビジネスを否定する結果となったから、共産主義は崩壊したのかもしれない。
真っ向から宗教を否定していた共産主義であったけれど、実はそれは経済行為だけであって、ビジネスの形態の一種だった宗教は認めざるを得なかったのではないでしょうか?
宗教というビジネスを認めた共産主義であれば、崩壊しなかったかもしれません。
現に、今でも世界で共産党は存在します。
中国でもロシアでも、共産党が政権党です。
しかし利益を追求するビジネスは、純粋経済も、異質経済の宗教も認めています。
最初から、今のやり方をしていれば、ソ連の崩壊はなくて、アメリカの崩壊が現実になっていたかもしれない。
人間の根底にあるのは、やはり死の問題であって、死後の行方がわからない以上、死後の世界があるという輪廻転生の考えが生きる支えになっているのでしょう。
政治と宗教は分離できないようです。
それを可能にしてくれるのは、やはり科学による真理の探求しかないでしょう。
21世紀は、それを可能にしてくれる100年になるかもしれません。
しかし、人間だけの為の科学であってはならないことは言うまでもありません。