Chapter 192 一生という概念

三次元空間の世界では、時間に制御(支配)されて生きなければなりません。
三次元空間(立体)が守らなければならないルールです。
時間が四次元要因だからで、わたしたちは、三次元世界に生きており、且つ四次元世界にも生きていると言われています。
三次元空間世界のことは納得できても、四次元時空間の中で、わたしたちが生きていることを俄かに納得することはできないでしょう。
三次元立体物は目には見えるけれど、時間は目には見えません。
線、平面、立体、そして次が時間だと言われても、何故立体の次の次元が時間になるのか、アインシュタインなら理解できても、わたしたちには理解できないのが現実でしょう。
「神はすぐ傍」PartI(時間が神)のChapter3(空間というケーキを切るナイフ)で、わたしたちが存在するとは、わたしたちの一生というケーキに、『今』という時間−厳密には時ですが−のナイフで切った断面であり、それこそが、わたしたちが唯一存在でき得る、『今、ここ』である。と申しました。
次元の定義とは、N次元世界とは、(N+1)次元世界というケーキを(N+1)次元要因というナイフで切った断面である。ということです。
わたしたちは生まれてから死ぬまでの一生を生きます。
この一生というのが曲者であるわけで、一生という概念は人間だけのもので、三次元空間宇宙の概念にはないものです。
あるのは、『今、ここ』しかないのです。
他の生き物には、一生の概念などありません。
生まれたから生きるのであって、死がやってきたら、ただ死ぬだけです。
これが、『今、ここ』に実在していることに外ならないのです。
生きている時に死ぬことなど考えて生きていないのが彼らです。
生きている時から、未だ来ぬ未来の死のことを考えるのは、わたしたち人間だけです。
未だ来ぬ未来に想いを馳せる結果、一生の概念が生まれた。
従って、一生の概念は、わたしたち人間だけのものなのです。
凡庸なわたしたちは余り深く考えないのですが、アインシュタインのような、ちょっと違う人は、実在などしない一生という概念を具象化しようと考えた。
つまり、この三次元空間世界に生まれ落ちてから死ぬまでの一生というものを、俯瞰(一望)できる世界を理論化したわけです。
わたしたちは死ぬ間際に、自分の一生を走馬灯のように思い出すと言います。
わたしたちの一生というのは、時間の経過の中でのそれぞれの場面であるわけです。
受精して十月十日という時間が経過して、母親から分離されて生まれ落ちます。
生まれ落ちてから6年経過して、小学校に入学します。
生まれ落ちてから、22年経過して社会人となります。
生まれ落ちてから、30年経過して結婚します。
そして、生まれ落ちてから、80年経過して死にます。
すべて時間によって、それぞれの、『今、ここ』という場面を思い出せるわけです。
一生という概念がある故に、時間の概念が必要となり、自分の一生を俯瞰(一望)できる世界を、時間を四次元要因とする四次元世界とすれば、それぞれの、『今、ここ』という時間のナイフで切った世界が場面として表れることになる。
過去や未来に想いを馳せた生き方しかできなくなった原因がここにある。
本来、『今、ここ』しか生きることができないのに、一生という概念が、いつの間にかわたしたちの中に侵入した結果、『今、ここ』にいることを忘れてしまった。
では一生の概念は何故生まれたのでしょうか?
死ぬということを知ったから、一生という概念が生まれたのです。
死ぬことを知って、時間という概念が生まれたのです。
そして、一生の概念が生まれ、それを理論化するために、四次元時空間世界が誕生したのです。
これは、わたしたち人間だけの宇宙観です。