Chapter 189 理屈の世界 VS 現実の世界

過去や未来に想いを馳せて生きるのが、二元論世界に生きることであり、時間を目の敵にして必死に時間と戦う人生です。
そういう人生を生きるわたしたちは、間違った生きかたをしているのでしょうか。
運動の光と音(喧騒)のわたしたちの宇宙とは、運動するのが法則ですから、一瞬たりとも止まっていることがなく変化し続けている無常の世界です。
しかし、わたしたちは安定を求める生きかたをしています。
また光の世界でもあるのですから、わたしたちは見るという行為を以って生きている。
更に音の世界でもあるのですから、わたしたちは聞くという行為を以って生きてもいる。
見るという行為(Seeing)は、見るもの(Seer)と見られるもの(Seen)という二元世界をつくるのが必然なのです。
聞くという行為(Hearing)は、聞くもの(Hearer)と聞かれるもの(Heard)という二元世界をつくるのが必然なのです。
つまり、運動するという行為(Moving)は、動くもの(Mover)と動かされるもの(Moved)という二元世界をつくるのが必然なのです。
わたしたちは、五感を以って生きていると感じていますが、実は運動の光と音の世界で生きている証です。
暗闇と沈黙の世界では五感は不要です。
動くという行為そのものが存在しないのですから、当然動くものと、動かされるものなど存在し得るわけがない。
従って二元論が成立しない世界ですから、五感の行為そのものも必要ないのです。
二元論世界であるから五感の必要性が生まれる。
これが、新しいキーワードです。
わたしたちの悩み、不安は、五感が機能しているから起こるのであって、五感がまったく機能していなかったら、起こるべくもない感情です。
わたしたちは悩んでいます。つまり悩む者(Worrier)です。しかし悩まれるもの、つまり悩む対象(Worried)なくして、悩む者はなく、結果悩みそのもの(Worry)も存在し得ないのです。
理屈で言っているのではありません。
現実にそうなのです。
しかし、普段のわたしたちは、現実の世界で生きずに理屈の世界で生きている。
五感の世界とは現実の世界ではなく、理屈の世界であることを忘れてはなりません。
現実の世界はモノと時間の四次元世界であり、時間(Time)のひとコマ−時刻(Timing)という−というナイフで四次元世界にナイフを入れるという、在り得ない世界、幻想の世界が、わたしたちが普段生きている五感の働く、理屈の世界であるのです。
過去と未来に生きる世界は幻想の、理屈の世界に外なりません。
過去が現在(『今、ここ』)の一部になり、未来も現在(『今、ここ』)の一部となっているのが、わたしたちが実在し得る四次元世界であるのです。
実在する世界は理屈の世界ではありませんから、五感の世界ではありません。
五感の世界ではないのですから、悩みや不安などとまったく無縁の世界です。
従って、運動の光と音(喧騒)の世界に生きている限り、不安や悩みといった四苦八苦から解放されることはありません。
モノに執着する三次元世界という幻想の、理屈の世界に生きているから、不安、悩みといった四苦八苦の世界から脱出することができないでいるのです。
モノと時間の四次元世界という現実の世界に生きていることを認識さえすれば、不安、悩みといった四苦八苦の世界と無縁になれるのです。
現実の世界にいるのに、理屈の世界にいると勘違いしているわたしたちは、間違った生きかたをしているのではなく、勘違いしているだけであることを、よくよく理解しなければなりません。
好きは好き、嫌いは嫌いが、勘違いの、理屈の、二元論世界。
好きは嫌い、嫌いは好きが、現実の三元論世界。
あなたはどちらが間違っていると思いますか。