Chapter 188 自己憐憫が得意

人生を楽しく生きることができたらどれほどいいでしょう。
ほとんどの人が、そう思って生きています。
しかし、よくよく考えてみますと、一生四苦八苦している人もいないわけで、その時折を結構楽しくやっているわけです。
それなのに、総じて人生四苦八苦と感じて生きているのは何故でしょうか。
それは、自分を可哀想に思う気持ち、つまり自己憐憫が大いに関係しているように思われます。
「神はすぐ傍」PartIII(時間からのメッセージ)Message34で、"喜怒哀楽はわたしとの戦いの結果"で、喜怒哀楽−四苦八苦と言い換えてもいいでしょう−の正体は自己憐憫にあり、良い思い出は消化されて残らないが、悪い思い出は消化不良を起こして残り、将来に対して持つ期待や不安の想いも、結局は不安に対してだけ、やはり消化不良を起こす結果、良い思い出や期待は忘れ去られ、悪い思い出や不安だけが、常に自分の傍にいる錯覚を持ち、その錯覚こそが、自己憐憫の正体であると、わたし(時間)からメッセージが伝えられています。
夢を観るのも、ほとんどの場合が、悪い思い出(記憶)がその源泉になっています。
良い思い出は消化されて消えてしまっているが、悪い思い出は消化不良で残る。
つまり、良い思い出の記憶は、記憶の録画テープを、録画直後に再生して消去してしまうのですが、悪い思い出の記憶は、知らず知らずの中に録画を重複してしまっているのです。
消化するとは、再生して消去することであり、消化不良とは、重複録画をすることに外なりません。
そして再生することとは将来に対する期待の投影であり、重複録画することとは将来に対する不安の投影なのです。
期待の投影は残らない、つまり自己憐憫ではなくて自己消化であるのに対し、不安の投影は残る、つまり自己憐憫です。
どうすることもできないこと、即ち時間に支配されて、過去も未来も自分では左右できないわたしたちは、時間と仲良くすると自己消化できる一方、時間を目の敵にすると自己憐憫に陥ってしまうことを、よく理解しなければなりません。
時間を目の敵にすると、四苦八苦の人生になる。
それは当然のことで、過去を変えようと思い、未来を確定しようと思って、時間と戦っても勝ち目はありません。
時間と仲良くすると、楽しい人生になる。
これも当然のことで、過去も未来も現実になったら−『今、ここ』のこと−受け入れるという気持ちの姿勢であって、それはまさに時間と共に生きることです。
結局の処、四苦八苦の人生も、楽しい人生も、外部環境の問題ではなくて自分の気持ち次第であって、それは時間を目の敵に思う気持ちか、時間と仲良くする気持ちの違いに外ならないのです。
時間からのメッセージは、そのことを伝えているのです。
いま、ここから時間と仲良くしましょう。
つまり時間を意識しないで生きることです。
嫌いなものは嫌い、好きなものは好き。
これは人生四苦八苦の二元世界のこと。
嫌いなものは好き、好きなものは嫌い。
これは、楽しい人生である三元世界のこと。