Chapter 184 『・・・せねばならない』の人生

わたしたちは一生の3分の1を眠ることに費やしているのですから、眠っている間も人生の重要な1ページになっているのです。
では自分のこれまでの人生を振り返ってみて、眠っていた3分の1がどれぐらい意味を持っていたと言えるでしょうか。
人生には大きな節目というものが何回かあるものです。
現代日本社会に生きるわたしたちにとって、学校に行き始めることが大きな出来事の初めでしょう。
昨今では3才ぐらいから幼稚園に行く子供が多いようですが、これはまったく無意味だと思います。
いや逆に悪い結果を生んでいると考えられます。
人間の本質が決定づけられるのが5才から7才までですから、社会生活をする為の人間形成の場である学校という集団生活は5才から7才以降にしなければいけないのです。
5才から7才というのは、両親は子供の生まれ持っての本質をよく見極め、育ててやることが何にも増して重要な時期なのに、集団生活によって子供の生まれ持っての本質を歪め、消し去ってしまう怖れがある。
だからその時期までは、両親は家庭生活を中心にした子供の育て方をしてやることが大切であるのです。
家庭生活を中心にした人生を送る時期の極めて少ないのが、先進国家の子供たちではないでしょうか。
原始生活をしているアフリカの子供たちは、学校に行く必要もない、受験のことも考える必要がない、就職活動する必要もない、会社に通勤する必要もない、一生が家庭を中心にした人生を送っているのです。
これは幸せな人生の原点ではないでしょうか。
学校に通学するようになってから、『・・・せねばならない』の人生が始まるのです。
大抵の子供たちは、学校が終わる土曜日若しくは金曜日からルンルンになり、学校が始まる月曜日若しくは日曜日の夕方あたりから憂鬱になる人生が始まり、大人になって会社に通勤するようになるとブルーマンデーという言葉まで生まれるわけです。
更に、55才から60才の定年になるまで、ただ食べるために働き続け、最後に会社からも女房からもリストラされて、「はい、ご苦労さん。一日中家にいることだけはやめて、ご自由に何処かに行って!」と言われ、公園のベンチで5、6時間掛けて新聞を読む老後を送る現代日本の男性大人たち。
確かに四苦八苦の人生だと言えます。
この原因は、生まれてから5才若しくは7才までしかない家庭生活中心の人生を送ることによって、自分の本質を見極め、育てることをしなかった為に、本当の自分をしっかりと確かめることができなかったことに依るわけです。
使命を知るきっかけが、この時期にあるのに、『・・・せねばならない』の連続の中で見失ってしまうのです。
そして、『・・・せねばならない』の人生を送り続ける中で、いくら社会生活の上でのこの世的成功を収めても、自分の使命を知ることはできないのです。
これは大きな不幸であります。
原始生活の中では、『・・・せねばならない』人生は無いのですから、彼らの方が、物質的には豊かでなくても、遥かに幸せだと言えるでしょう。
学校生活そしてその中で経験する受験、学校生活が終わると就職して社会人生活、そして結婚して人の親になり、最後に老後の人生。
これらの人生の大きな節目が、好かった人生か、好くなかった人生かを決定するのです。
その時、わたしたちは眠っている3分の1をどれぐらい有意義に使ったか記憶にあるでしょうか。
眠りの中でも人生は創られているのです。
それを認識するために夢があると言ってもいいでしょう。
自分の人生の大きな節目で、夢が大きな役割を果たしてくれたと言える人は、『・・・せねばならない』の人生ではなかったと言えるのではないでしょうか。