Chapter 180 五感を超えた夢

わたしたちの人生が四苦八苦するのは、無常の世界に生きているからです。
ほんのちょっと前のことが、もう今ではほんのちょっと後のことになっている。
つまり、常に流れている時間に支配されて生きているために、『今、ここ』にいることができないのです。
現在とは過去や未来と同じ時称の一つではないのです。
現在(Present)とは過去(Past)の一部であるし、未来(Future)の一部でもある瞬間(Instant)を指します。
つまり現在とは時(Time)でもなく、時刻(Timing)でもなく、時間(Hour)なのです。
それは過去も未来も包含している時間である現在に、わたしたちは生きている故に、過去や未来に目線が行ってしまう宿命を背負っていると言っても過言ではありません。
「神はすぐ傍」Part(III)"時間からのメッセージ"Message34の「喜怒哀楽はわたし(時間)との戦いの結果」で"あなたの喜怒哀楽は、すべて、わたし(時間)との戦いに負けたあなたの残骸"と象徴的に表現しました。
四次元時空間世界にいながら、三次元立体である肉体を持つわたしたちは、必然時間に支配される運動の光と音の世界に生きざるを得ないのです。
運動する世界、つまり無常の世界です。
生きるとは肉体が活動することで、わたしたち人間は、特に見るという活動を中心に生きています。
運動している世界で活動するわたしたち。
足下が動いている中で肉体を動かすという実に不安定な状態にいるのですから、落ち着くことは極めて困難です。
海を漂う船の中で四六時中、体を動かしているのが、わたしたちの人生なのです。
死ぬということは、漂う船の中で体を静止することに外なりません。
精霊流しは、まさに死者を漂う船に載せて送ることです。
漂う船を止めることは、四次元時空間世界に存在するわたしたちにはできません。
『今、ここ』に生きるとは、漂う船の中で静止するつまり死ぬか、漂う船を漂着させ、運動の光と音の世界である海から、静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙へ上陸するしか無いことを示唆しているのです。
生きている限りは、不安定な中で生きることを覚悟するか、一所懸命船を漕いで静止の暗闇と沈黙の世界に上陸するか、選択はわたしたちひとり一人に委ねられているのです。
海を漂う船の中は、無常の運動の光と喧騒の危険な世界のこと。
遥か彼方に見える陸は、静止の暗闇と沈黙の静寂な世界のこと。
夢を見、聞き、匂い、味わい、肌で感じることが出来たなら、わたしたちは五感の呪縛から解放され、船にいながらにしてヘレン・ケラー女史のように静止の暗闇と沈黙の静寂の世界を経験することができるかも知れません。