Chapter 18 第三の目という映写機

映画は、静止画の重ね合わせたものに、音を挿入しているのに対して、漫画は静止画の中に台詞という文字を入れて音の代用をすることによって、映画の静止画を重ね合わせた数枚乃至は数十枚、数百枚分を表現しているのです。
わたしたちの観ている夢は、トーキー映画なのですが、音は耳から入ってはいないのです。
映像は、内側からの映写機で、外側映写機で映す網膜スクリーンと正反対側の網膜スクリーンに映しているから、これも二つの目で観ているわけではありません。
眉間にある第三の目が裏側のスクリーンに映っている映像を観ているのです。
それでは、何故二つの目が動いているのかと申しますと、見るという行為をするのにも当然エネルギーが必要なのですが、そのエネルギーは体の中に充満している生命エネルギーがその源であります。
生命エネルギーは、食物を摂取することによって得られるものだけではありません。
食物を摂取して得られるエネルギーは活動エネルギーであるのです。勿論活動エネルギーも目を機能させるには必要なのですが、活動エネルギーだけでは五感機能を働かせることはできません。
生命エネルギーも必要なのです。
見る、聞く、匂う、味わう、肌で感じる。これが五感機能です。
これらの機能は、生きている証の基本で、五感機能がすべて働かなくなったら意識は消えてしまうのです。
逆に言えば、意識がなくなるということは、五感機能が働かなくなった状態を言うのです。
意識の一番表面にある顕在意識の一部がわたしたちの心であるのですから、五感機能は心にも強く影響しているわけです。
そして、意識を司るエネルギーは生命エネルギーで、無意識下で肉体を司るエネルギーが活動エネルギーであるわけです。
従って、生命とは意識があることですから、肉体の寿命は生命エネルギーに掛かっているのであって、食物を摂取することによる活動エネルギーは、その一部を担っているだけなのです。
要は、五感機能は生命エネルギーと活動エネルギーによって機能しているのですが、生命エネルギーの影響を強く受けているのです。
そして五感機能の中でも、見るという機能に一番エネルギーが多く使用されているのです。
何かを見ようとすると、エネルギーが目の処に集まって来ます。
そして外側の光景を見る時は、外側の映写機である二つの目が開いてエネルギーを放射します。
このエネルギーが映写機のライトになって、目という映写機が動いているのです。
ところが、内側の映写機で網膜スクリーンに映写する時は、第三の目にエネルギーが移動して、そこからライトアップするのです。
つまり、外側の映写機が二つの目であって、内側の映写機が第三の目であるのです。
夢を観ているのは第三の目ですが、ー旦二つの目に行ったエネルギーが、そこで遮断されて第三の目に向かう際に、二つの目が動くのです。
従って、夢を観ているのは、眉間にある第三の目ということになります。
ところが第三の目というのは、二つの目を閉じると自動的にエネルギーがそこで遮断されて、その方向は第三の目に向かうようになっているので、夢を観るだけではなく、目が醒めている時でも目を瞑るだけで、見るという機能は第三の目に移るのです。
瞑想をしている状態は眠っているのではないのですが、第三の目が機能して内側の映写機が機能している状態を言うのです。
そうしますと、第三の目は目を瞑りさえすれば機能するわけですから、いつでも内側の映写機を動かして自己の内面を観ることが出来るということになります。
わたしたちは、実は四六時中夢を観ているのだということが少しわかりかけてきたのではないでしょうか。
そこで問題なのは、映像を観ている自分なのか、実演をしている舞台を観ている自分なのかになるのですが、その前に先ず、夢は眠っていても目が醒めていても夢を観ていることを、認識することが必要なのです。
そうでないと次に進めません。