Chapter 178 全体に則した一生

夢というものは決して見るだけのものではなくて、聞くものであったり、匂うものであったり、味わうものであったりするわけで、夢を見る−体験すると言った方がいいかもしれません−ものによって変わってくるのです。
しかし、わたしたちは、夢は観るものだと思い込んで生きてきました。
前Chapterでも申しましたが、生まれつき目の不自由な方は夢を映像で観ようと思っても映像そのものがどのようなものであるか想像もできないのです。
夢の源泉は記憶ですから、映像の記憶が無くて映像が夢に出て来る筈がありません。
結局の処、最も強く記憶に残していることが夢に現れるわけで、それは映像とは決して断言できないのです。
わたしたちは、自分の経験を以って、他人を推し測る癖を持っています。
その理由は、同じ人間だと大体同じような経験をすることから来ているわけですが、意識のレベルが集合意識と直接繋がっている無意識下で経験するものは確かに同じ場合が殆どです。
しかし、わたしたちが記憶に留めている経験の多くは無意識下のものではなく、潜在意識下のものが断然多いのです。
潜在意識レベルは顕在意識と無意識との中間にあり、どちらかと言うと個別意識である顕在意識の影響を強く受けるものです。
顕在意識の強い影響を受けたものが、潜在意識レベルで強く記憶に留められ、無意識経由集合意識まで浸透してはじめて実現するという運びになるわけです。
いくら顕在意識で思っていても先ず潜在意識にまで浸透しないものは決して実現しないのです。
潜在意識にまで浸透するには、繰り返し強く想うことが必要です。
継続が大事な所以は、潜在意識にまで想いが浸透するには、繰り返しが必要だからです。
実現するということは、地球のメカニズムに則しているから実現するのであって、自分の想いに則していても地球の想いに則していなければ、絶対に実現はしないことをわたしたちは自覚しなければなりません。
地球のメカニズムに則しているかどうかは、その想いが潜在意識に受け入れられ、更に無意識レベルから集合意識にまで伝わってはじめて確認されるわけです。
潜在意識がまさに実現の登龍門であって、普段わたしたちが自分だと意識している顕在意識は、ただの思いに過ぎないのです。
顕在意識の思いは潜在意識になって想いになるのです。
従って、無意識レベルの経験を記憶に留めているより、潜在意識レベルの経験を記憶に留めている方が遥かに多いのです。
無意識レベルの経験は固有の経験ではないが、潜在意識レベルの経験は固有の経験だと思っているからに外なりません。
REM睡眠で観る正夢が、まさに固有の経験に基づいているのは、REM睡眠が潜在意識レベルだからです。
強く印象に残っているものが潜在意識に浸透し夢に現れる。
そうしますと、顕在意識の強い所謂現実の世界こそ、わたしたちが言う、所謂夢うつつの世界であって、夢を経験している潜在意識の世界こそ現実の世界だと言えるのですが、わたしたちは逆さまに思って生きていることになります。
その最大の理由が、夢は見るものだと思い込んでいる点にあります。
人によっては夢を聞く人もあり、生き物によっては夢を匂う物もいることを、わたしたちは知らなければいけません。
それを皆、夢は見るものだと思っているわたしたち。
夢を観ると表現して、夢を見るとしなかった理由がここにあります。
夢を見るという表現は厳密には、夢を経験するということに外ならないわけで、時には聞いたり、時には匂ったりすることを包含しているのです。
錯覚の人生。
勘違いの人生。
思い違いの人生。
わたしたち以外のすべてものは、全体に則した一生を送ります。
わたしたちだけが、固有の人生を送ります。
だから錯覚、勘違い、思い違いの、四苦八苦の人生になるのです。
人生と四苦八苦とは表裏一体なのです。
聞く夢を見、匂う夢を見る経験をしてみれば、全体に則した一生を送れるかも知れません。