Chapter 174 二元論(Dichotomy)の世界

善悪、強弱、賢愚・・・生死。
わたしたちの生きている世界はこれら二元論の世界です。
善、強、賢、生だけを求めて、悪、弱、愚、死を避けて通る生きかたはできません。
神を認めるなら悪魔も受け入れなければならないのが、わたしたち四次元時空間世界に生きているものの宿命です。
三次元立体物であるわたしたちは、四次元要因である時間の制御の下、常に位置が変わり続けて来た、つまり運動をして来たわけです。
四次元時空間世界とは運動の世界であり、従ってその向こうの果てのない世界、無限世界は静止の世界と言えるわけです。
運動に対峙するものは静止しかないのです。
光に対峙するものは暗闇でしかないのです。
音に対峙するものは沈黙でしかないのです。
運動、光、音の世界であるわたしたちが生きている有限世界を生んだ、果てのない無限世界が、運動、光、音の無い静止、暗闇、沈黙の世界であることは想像に難くない。
運動をするのが宿命の四次元時空間世界で、時間に制御されて生きているわたしたち三次元立体物は二元的運動をするのが法則です。
往復線運動は一元的運動です。
円回帰運動は二元的運動です。
両方とも始点が終点になることでは回帰運動ですが、一元だと線になり、二元だと曲線になるのが数学の基本であることは、わたしたちが中学生の時に学んだ筈です。
曲線には円−楕円を含む−だけではなく、放物線、双曲線がありますが、回帰運動するのは円だけです。
放物線は、谷底は有限であるが頂上は無限であり、無限の頂上への道には二通りあることを教えています。
双曲線は、ゴールには限りなく近づくことはできるが、到達することは不可能であり、近づく道はやはり二通りあることを教えています。
円は有限の円周を無限運動し続け、その方向には二通りあることを教えています。
わたしたち三次元立体物がする運動は、円回帰運動、放物線運動、双曲線運動という二元的なものに限られるのです。
つまり、わたしたちが生きていて経験する出来事はすべて、円回帰運動か、放物線運動か、双曲線運動のどれかに当てはめられるのです。
悟りは、限りなく近づくことはできるが悟りの境地に到達することができないと申しましたが、それは双曲線運動をすることに外ならないからです。
わたしたちの人生が、努力によって谷底は有限であるが、頂上は無限である放物線運動にすることができることは大きな生きる希望になり得るのです。
これらすべては二元的運動です。
そうしますと、眠りと覚醒も二元的運動をするのが、わたしたちが生きている世界の法則ですが、眠りだけを求めたり、覚醒だけを求めたりするのが普段のわたしたちです。
わたしたちは眠りをあまりにも一元的にしか捉えていない節がある。
わたしたちは覚醒を、肉体に対する意識と同様に不測の事態にならない限り意識しないで生きている節がある。
これではあまりにも不完全で、アンバランスな生きかたと言っても過言ではないでしょう。
二元的世界から三元的世界に飛躍するのが、わたしたち人間の究極的使命ですが、その前に先ず、二元的世界の法則をよく理解しなければなりません。
善悪、強弱、賢愚・・・眠りと覚醒、そして生と死。
片方だけを選択することはできない二元論を体に叩き込まなければなりません。