Chapter 173 眠りと覚醒を超える

どうやら睡眠の本当の意義がわかりかけてきたようです。
わたしたちの人生は己の気持ちの持ち方次第であることは、誰もが認めていることでしょうが、それをわかっていてもなかなか実践できないから四苦八苦の人生を送っているのが実態です。
気持ちと言うぐらいですから、やはり気の持ち方です。
人間の価値観は、生まれ育った環境でまったく違ったものになるのも、気持ち次第である証しと言えるでしょう。
宗教は、人生すべて気持ち次第であることを教え諭すことがその本質であるべき筈なのに、気持ちの違いで殺し合いまでしているのは、一体どうしたものでしょうか。
幸福と不幸は表裏一体であるのが、わたしたちが生きている宇宙の法則である二元論から来ていることを理解すれば、このような矛盾に満ちた生き方を人間はしない筈です。
やはり無知が問題の根源であると言わざるを得ない。
眠りについて敢えて問題の提起をしてきたのは、わたしたちが生きている世界は二元論を基本にしていることを、もっと知って頂きたいからです。
幸福を熱望しているわたしたちですが、幸福を求めれば求める程、不幸を知るに至る真理を理解しなければなりません。
善を唱導するわたしたちですが、善を唱導すればする程、悪を誘導することになる真理を理解しなければなりません。
眠ることを唱導するわたしたちですが、眠りを唱導すればする程、覚醒を受けとめることが真理であるのに、わたしたちは覚醒を無いがしろにしています。
覚醒を無いがしろにすればする程、眠りを無いがしろにしていることをわかっていないわたしたち。
それならば、逆転の発想で、眠りを無いがしろにしてみたら一体どうなるのかを理解すれば、覚醒の大切さを理解できる一助になり得ると思うのです。
普段のわたしたちを思い起こしてみれば納得される筈ですが、眠れば眠る程眠たくなります。
眠らなければ眠らない程、醒めてきます。
この現象は、精神のみならず肉体においても同じです。
肉体と精神は、ある程度までは排斥関係を維持して逆現象を起こすのですが、結局は共鳴関係になるのです。
二つの共鳴する音は、ある程度まではお互いの音を排斥してノイズとなっても、結局は共鳴するようになるのと同じ原理です。
肉体が眠たくなればなる程、精神は醒めてくる。
精神が眠たくなればなる程、肉体は醒めてくる。
普段のわたしたちがこの状態です。
しかし、この域を超えると必ず共鳴関係になるのです。
わたしたちが生きている世界では、この法則が絶対です。
問題は、わたしたちの気持ち次第です。
ここの微妙なところをよく理解してください。
わたしたちが生きている世界と、わたしたちの気持ちとが、いつも排斥関係にある限り、わたしたちの人生は四苦八苦から脱け出ることはできません。
排斥関係にあることは、共鳴関係になる前提であることを知るに至ってはじめて、四苦八苦から脱け出ることができるのです。
一元論が基にあって二元論が誕生し、二元論から三元論に発展することで、絶対一元論に円回帰する。
絶対一元宇宙にあった唯一の力が、四つの力を生んだ結果、二元世界であるわたしたちの宇宙を生み、その発展過程の中で三元世界を形成していくことで、絶対一元世界に戻っていくのが、宇宙の生成発展であるのです。
一元から二元へ、二元から三元へ、そして三元から一元へ回帰する。
わたしたちは眠りと覚醒の二元世界に生きています。
眠りと覚醒の両方を超える三元世界に発展していくのが、わたしたちに与えられた使命です。
どんな形の使命かは個人によって先差万別ですが、その目指すところは一点です。
目指すところを間違えるから使命を知ることができないのです。
二元世界から三元世界を目指すのが、わたしたちの使命です。
Chapter86(エデンの東にあるノドという町)でお話しましたが、エデンの園を追放されたわたしたち人間が目指すのはエデンの東にあるノドの町です。
そこには三元世界への標識が立っているのです。