Chapter 170 覚醒(Awareness)

生まれてから死ぬまで、わたしたちの意識は醒め続けています。
だから生きているのです。
現に、わたしたちの肉体がその働きを停止したことは一度もない筈です。
心や想いも、その原点は脳の働きですから、脳の働きが停止しない限り醒めている筈です。
ところが熟睡している間は無意識レベルに落ちている。
脳は働いているにも拘らず、無意識状態であるのは何故でしょうか。
Chapter125及び126で、「深淵(Abyss)」についてお話しました。
わたしたちが生きている世界は、生死、善悪、正邪、賢愚、強弱、貧富・・・つまり二元論で支配されています。
善があるから悪がある。
賢者がいるから愚者がいる。
二元論は二次元座標によって、更に四つの象限に分けられます。
つまり、悪悪、善悪、悪善、善善の四つの象限です。
二元論世界に支配されているわたしたちは、この四つの象限に確率分布されているのです。
統計学に正規分布というものがあって、質と量は統計的に97:3の割合で反比例して存在するのが二元論世界の法則です。
質の良いものは少くて全体の3%しかない、つまり量は少ない。
質の悪いものは多くて全体の97%もある、つまり量は多い。
賢いものは3%しかおらず、愚かなものは97%もいるのが、わたしたちの生きている世界の法則です。
この正規分布は四つの象限を表しています。
正の中での優劣。
負の中での優劣。
正の優が1.5%たとえば善の善つまり大善人。
正の劣が48.5%たとえば善の悪つまりただの善人。
負の優が48.5%たとえば悪の善つまりただの悪人。
負の劣が1.5%たとえば悪の悪つまり大悪人。
これを二次元座標で表すと、正の正、正の負、負の正、負の負の四つの象限に分けられる。
さてここから深淵(Abyss)の本題に入るのですが、わたしたちはすべて気づき(Awareness)の程度によって、この四つの象限の中に組み込まれている。
気づきが多くなれば、負の負から負の正若しくは正の負そして正の正へと成長して行く。
気づきが少なくなれば、正の正から正の負若しくは負の正そして負の負へと退化して行く。
その成長と退化という、相対する過程の中で、象限が変わる時にどの象限にも属さないニュートラルポイントを通過する瞬間があります。
そのニュートラルポイントが深淵(Abyss)です。
眠りと覚醒の間にある深淵が熟睡です。
ここでいう眠りと覚醒は肉体的なものだけではなく、精神的なものも言える。
眠り(Sleepness)と覚醒(Awareness)の狭間にあるニュートラルポイントそれが無意識下の熟睡です。
従って、厳密に言えば、熟睡も睡眠ではない。
わたしたちが生きているということは覚醒(Awareness)であることを忘れてはなりません。
そして覚醒(Awareness)に至る過程で悟り(Enlightenment)つまり自分の足下を照らす(Lighten)ことが必要なわけで、それはわたしたちひとりひとりの固有のLight(自灯明)です。
特にニュートラルポイントの深淵は真暗闇ですから灯明が必要です。
熟睡している時にも夢を観ていて、その夢を負夢と申しましたが、負夢こそが熟睡という真暗闇の深淵を照らす自灯明です。
しかし、残念ながらわたしたちは負夢の記憶がないのです。
それを思い出すのが、本当の自分の発見であって、背景画面という人生の映画を観て自分も出演していると思っている自己同化(Self-Identify)している、「私」から、4階の自分だけの座席に座っている、「わたし」を思い出すことです。
その為には、葛藤することで熱を生み、その熱によって日頃の想い、つまり、「私」を、結晶化した想い、つまり、「わたし」に変身させるしか方法は無い。
人生における四苦八苦は、その為の葛藤であるのです。
そして葛藤に耐え得る絶対条件は、『今、ここ』にいることです。