Chapter 167 獣の残像・人間の子供

夢を観ることによってしか、眠っていることを確認できないのがわたしたちですが、逆に言えばわたしたちが、普段目が醒めている状態である、所謂現実の世界において夢(白昼夢)を観ている認識をしない限り、わたしたちの意識(顕在意識)も実は眠っていることを認識できないのです。
更に逆に考えれば、白昼夢を観ていることを認識することによって、わたしたちの四六時中寝ても醒めても眠っている意識を覚醒させる−悟りに近づく−ことができるとも言える。
そういう点において、眠りと夢の関係を理解する−知るに至る−ことは非常に大切なことです。
わたしたちひとりひとりが悟りを開く−わたしはこの言葉を使うのにものすごく抵抗を感じるのですが敢えて使います−ために宗教に走ったり、哲学的思考に耽ったりするよりも、わたしたちの日常生活に密着している眠りと夢についてより深い理解をすることの方が遥かに効果的です。
人生を四苦八苦と捉えて生きるわたしたち。
必ずやって来る死に怯えながら生きていくわたしたち。
悟りを開くとは、「神の存在を知り、神と共に生きる」と教えるような絵空事ではなく、生きている限りは必ずやって来る死を認識しながらも、人生を楽しく生き切ることができる境地を言うのです。
従って、悟りを開くと言うことは、わたしたちひとりひとりが生きて行く上での権利と義務であることを理解しなければなりません。
人間がつくった憲法や法律に対しては、わたしたちは権利と義務があることを知っていますが、それは社会生活をする上での所詮方便であって、わたしたちひとりひとりが生きて行く上で一番大切な権利と義務が、悟りを開くことです。
その一番近道が、眠りと夢についての理解を深めることであると考えたから、「夢の中の眠り」を書き始めたのです。
わたしたちは、『ああ、よく眠った!』という感覚を得るためには夢を観たという感覚が必要です。
子供の頃に味わった完全熟睡は、よく眠ったということではなく、よく死んでいたということであって、永遠の眠りの中の一瞥を味わっていたことに外ならないのです。
何故子供の頃にしか完全熟睡をすることができないのかと言うと、顕在意識が目覚めてから間も無いために、つまり自我意識(いわゆるエゴイズム)がまだ幼いが故に、集合意識と対面することが可能になっているからです。
つまり動物と同じように無意識下で生きることができているのです。
子供が残酷なことを平気でするのは、獣と同じ無意識下で生きているが故のことであることを理解しなければ、青少年犯罪の根元を知ることはできません。
善いことか悪いことかの判断は別次元のことになりますが、人間も所詮は動物ですから、子供が残有している動物としての本能を、わたしたち大人が大事に取り除いてやらないと、ますます残忍な青少年犯罪は増えていくことになるでしょう。
その根元に、無意識下による完全熟睡が潜んでいるのです。
『ああ、よく眠った!』
大人になってから完全熟睡をする経験は、もちろんその内に鈍感な中毒症状になって逆効果が出てきますが、睡眠薬を初めて飲んだ時にできます。
大人になってから完全覚醒をする経験は、もちろんこの経験もその内に鈍感な中毒症状になって精神的廃人になりますが、麻薬を初めて飲んだ時にできます。
青少年に麻薬中毒者が多いのは、完全熟睡や覚醒の残像があるからに外なりません。
歳を重ねることの素晴らしさは、科学薬品の力を借りなくても、完全覚醒でき易い状態にあることです。
その兆候が、睡眠が浅くなっていくことで、睡眠を疎んじるようになっていくことです。
それを、好くないこと、病的なことだと捉えるところに問題の本質が潜んでいることを知らなければなりません。
精神が眠っていると言われれば、わたしたちは落胆します。
肉体も眠っていると言われれば、わたしたちは落胆しなければなりません。
睡眠薬は毒だと、わたしたちは知っています。
それでも睡眠毒と言わずに、睡眠薬と言っているわたしたち。
この甚だしい錯覚から脱け出さない限り、麻薬がこの世に蔓延ることを避けることはできないでしょう。