Chapter 164 達人の睡眠

昔の剣の達人は無意識下での睡眠は採りません。
つまり熟睡はしていないのです。
常に回りの気配を感じながら眠っているのです。
先ずNon-Rem睡眠という熟睡をして、それからRem睡眠をするのが1サイクルでそれを何度か繰り返すのが睡眠のメカニズムなのですが、剣の達人の睡眠にはNon-Rem睡眠が無いのです。
Non-Rem睡眠の時は無意識が意識の主体ですが、Non-Remという言葉が示している通り、Rapid eye movementする(目がせわしなく動く)ことが無いのです。
Rem睡眠の時は潜在意識が意識の主体になっていますが、この時は目がせわしなく動いているのです。
目が醒めている時は、もちろん顕在意識が主体ですから、目はばっちり開いていて目はひっきりなしに動いています。
結局、意識があるということは、目が動いていることに外ならないのです。
無意識状態ということは、自己同化(Self-Identify)が無い、つまり自己意識が無いわけですから、自己の立場からするとまさに意識の無い状態であるのです。
集合意識側からすれば、無意識が当たり前の状態で、顕在意識や潜在意識の方がそもそもおかしいのであってそれを無意識と定義するのは本末転倒であるのです。
常に集合意識と一体であるのが顕在意識であって、集合意識と一体になっていない、顕在意識こそ無意識だと言えるわけです。
しかしここでは敢えて、自己同化(Self-Identify)した立場で考えて行きたいと思います。
意識ある状態の時、わたしたちの目は動いている。
このことは何を意味しているかと申しますと、眠っていない、目が醒めている状態を意識があると言うのではなくて、飽くまで目が動いているかどうかが意識があるかどうかの基準であると言うことなのです。
わたしたちは眠っていてもRem睡眠の時は、目をせわしなく動かしています。
従って、Rem睡眠の時は意識があるわけです。
目が醒めている時を顕在意識とするのに対して、Rem睡眠の時の意識を潜在意識だとする所以です。
そうしますと、眠っている定義を考え直す必要がある。
Non-Rem睡眠をしている時に眠っているだけで、Rem睡眠の時は眠っていないことになる。
わたしたちは、睡眠を採るということは6時間なり7時間継続して眠ることだと思っています。
医者は、『睡眠は最低7時間採りなさい』と言います。
わたしたちは、夜中に何度も目を醒ますと、『昨夜は何度も目が醒めて睡眠不足だ!』と言います。
つまり継続的に眠らないと眠ったと思わないのです。
1時間のNon-Rem睡眠つまり熟睡をして、30分のRem睡眠をする繰り返しが睡眠のメカニズムなわけですから、実はこまぎれの睡眠が普通なのです。
継続して6時間の睡眠をするということは、Non-Rem睡眠からRem睡眠、Rem睡眠から再びNon-Rem睡眠、つまり無意識と意識との境界がない状態であると言えるのであって、これは不可能なことであります。
無意識から意識に変わることを醒めると言い、意識から無意識に変わることを眠ると本来言うのですから、継続して6時間眠るなどできないのです。
従って、1時間半の睡眠が完結であって、次の1時間半の睡眠はまた別の睡眠であるので、6時間の睡眠など不可能なのです。
ましてや、1時間半の睡眠も、実は最初の1時間のNon-Rem睡眠だけが本当の睡眠であって、あとの30分は意識と無意識の狭間、半睡眠状態であるのです。
この時に、わたしたちは夢(正夢)を観ているのです。
ここで大事なことは、わたしたちが眠った感覚でいるのは夢を観たと思った時であるのです。
つまり心身の休息は夢を観ている、つまりRem睡眠で十分だと言えるのです。
熟睡をすると確かに清々しい心地ではありますが、絶対条件ではないのです。
冒頭で、剣の達人は熟睡をしないと申しましたが、彼らはそれで十分心身の休息を採っているのです。
究極的には、Rem睡眠さえしておれば、睡眠(熟睡)を一生採らなくても生きていけるのです。
剣の達人はそれを教えているのです。
Rem睡眠、つまり意識がある時、わたしたちは正夢を観ています。
目が醒めている昼間、つまり意識がある時、わたしたちは白昼夢を観ています。
所謂現実が夢であることの証であるのです。
眠っているから夢を観るのではなくて、意識があるから夢を観るのです。
ところがわたしたちは、夢は眠っている時に観るものだと勘違いしている。
この錯覚の中で生きて行くということは、実にもったいない話であります。
歳を重ねる毎に熟睡できずに、浅い眠りになります。
若い時は、熟睡ができます。
若いことが好くて、老いることが好くない風潮が蔓延している日本の現代社会ですが、老いるということは達人の境地に近づくことであって、若いことよりも好いことであるのです。