Chapter 163 使命

わたしたち人間は、この世に生まれた限りは使命を持っています。
使命を持って生まれたのではありません。
生まれてから使命を持つのであります。
だから使命を持っている人間と持っていない人間がいると、みんな勘違いするのです。
生まれたということは、死ぬまで命を与えられたということであります。
与えられた命を使うのが、わたしたちの義務であり、命を使うことが使命であるのですから、すべての人間が使命を持っているのは当然のことであります。
そして死に際して命を与えてくれたものに返さなければなりません。
森羅万象すべてのものが、この地球上において命を与えられ、そして死んで地球に帰るのですから、命を与えてくれたのは地球と言ってもいいでしょう。
従って、命を与えてくれた地球に命を返す時、つまり死に際して、命を十分に使ったと言えるかどうかに、わたしたちの人生のすべてが掛かっていると言っても過言ではないでしょう。
結局の処、わたしたちが自分の人生を四苦八苦しているのは、使命を知り、使命を果たすことをしていないからであります。
毎日、嫌な会社員生活をしながら家族を養っている人たちが、そのことを以って使命だと思っているなら、そんなに四苦八苦のサラリーマン生活にならない筈であります。
使命を果たしている時が一番幸せな筈です。
使命の大きな判断基準の一つは、それをやっていて継続的に楽しいことです。
人生の出来事には必ず山あり谷ありがつきものです。
しかし使命を果たしている人には、山ばかりで谷はありません。
何故なら、その使命自体が楽しいことであるからです。
この世的成功は、一時期は楽しいでしょうが、必ず山と谷があるので、山が大きければ谷も同じだけ大きいことを覚悟しておかなければなりませんし、そんなあやふやな中に使命など在り得ないのです。
使命を知り、それを果たしている時こそが、『今、ここ』に自然にいることができるのであって、使命を知ることをできていない人が、『今、ここ』にいることは土台無理な話なのです。
そうしますと使命を知ることが、人生において最も大事なことであることがわかってきます。
生まれて死ぬまでの間に、わたしたち人間は使命を知り、それを果たす運命を背負っているのに、未だ知ることができないことが最大の不幸であるのです。
自分の使命を知り、それを果たすことができない人が不幸な人なのです。
使命を知り、それを果たし、預けられた命を使い果たす。
そういう人を幸せな人と言うのであって、この世的成功を収めた人は、自分の使命を知り、それを果たすのが遅れるのですから、可哀想な人と言っていいでしょう。
この世的成功を収めた人が、この世のためになることを果たした例はありません。
何故なら、この世的成功とは、己の為のものであって、この世の為ではないので、この世的成功と言うのです。
この世の為になった人は、たとえ立派な地位に就いたとしても、それがこの世的成功などと思ってもいないのです。
わたしたち生きているものはすべて使命を持っています。
死ぬまでに使命を知り、それを果たすことで、堂々と胸を張って死に就きたいものです。