Chapter 156 自灯明

わたしたちの目が醒めている時は、顕在意識が一番表面に出ていますが、眠っている時は無意識と潜在意識が交互に一番表面に出ているのです。
熟睡つまりNon−Rem睡眠状態の時は無意識が、Rem睡眠状態の時は潜在意識が一番表面に出ているのです。
Rem睡眠状態の時、観ている夢は正夢なのですが、その時一番表面に出ている潜在意識こそが、わたしたちの本当の意思であるのです。
つまり自己の自己たる所以である意思であるのです。
顕在意識が一番表面に出ている時、即ちわたしたちの目が醒めている時に自分はまだ本当の自分になっていないのです。
潜在意識はその下にある集合意識(地球意識から宇宙意識)と繋がっている最後の自己同化(Self−Identify)の砦であるのです。
顕在意識は、集合意識から最も遠く離れた小島であって自己同化(Self−Identify)を一番強く意識しているから顕在意識と言うのです。
この顕在意識と潜在意識の更に下に無意識があるのですが、無意識状態になるとそれはもう集合意識の一部になっていて自己同化(Self−Identify)はされていないのです。
正夢は自分の存在を意識した夢であるのに、負夢では自己の意識が無い夢であるのは、負夢を観ているNon−Rem睡眠は無意識レベルになっているからに外なりません。
従って、目が醒めている顕在意識の時が、一番自己同化(Self−Identify)が強いのですが、逆に言えば集合意識と最も離れた意識なので実現能力が一番乏しい状態であるわけです。
ここに、わたしたちは生きているのではなくて、生かされている根拠があるのです。
集合意識つまり地球意識更には宇宙意識が、わたしたちが存在し得る根拠であって、集合意識の意図に従わざるを得ないのです。
所詮わたしたちは集合意識という機械の一部品に過ぎないのです。
機械の意図以外の行動は一切できないわたしたち。
しかし部品としての誇りはあるわたしたち。
その狭間を往来している潜在意識こそが、わたしたちのわたしたちである所以であるのですから、夢を観ている時のわたしたちの方が、目を醒ましている時のわたしたちより、より自分であると言えるのです。
それが目を醒ましている時に観ている正夢の延長である白昼夢であるのです。
それでは所謂現実の世界にいるわたしたちは一体何者なのでしょうか。
普段のわたしたちは、この訳のわからない曲者を自分だと思って生きているのです。
この曲者と対峙することが葛藤であると言えるでしょう。
幽霊は足がありません。
この曲者も足がありません。
足下に注目してやれば、この曲者は一番困るのです。
この曲者が化け物であるのは、足がないからです。
わたしたちは、自分の足下に灯を照らすことによってしか曲者の実体を知ることができないのです。
葛藤することによって生じる熱がその灯を生んでくれるのです。
お釈迦さまが入滅される間際に弟子の人たちに教えた言葉、“Appo deepo bhava(Be a light into yourself)”「自灯明」とは、この灯のことを言っておられるのです。