Chapter 153 わたしたちは魑魅魍魎(ちみもうりょう)

人生における四苦八苦は、実は葛藤に外なりません。
しかし、葛藤の効用性が発揮されていないから四苦八苦になるのです。
結局、時系列で俯瞰すれば効用性は発揮されている結果になるのですから、葛藤の効用性は如何なる場合でも発揮されることになります。
瞑想のことをMeditationと言いますが、その語源はMedicine(薬)です。
つまり、心の薬が瞑想と言うわけですが、実は葛藤とは瞑想そのものであるのです。
薬には即効性のあるものと、時間を掛けてじっくりと効果を発揮するものとがあります。
『今、ここ』にいることこそが瞑想状態にあることであり、葛藤することによって、『今、ここ』に近づいていくのですから、瞑想状態がゴールであり、葛藤がプロセスと言ってもいいでしょう。
只管打座が座禅の境地と言われていますが、葛藤というプロセスがあって瞑想状態というゴールに到達するのですから、只座ってすぐに無念無想になるわけではないのです。
肉体を動かしている時よりも、只座っている時の方が、余計にあれこれ考えてしまうのが、わたしたち凡人であると思っていた節がありますが、実はそうではなくて、肉体の活動を止めることは想いの活動を促進させることに外ならないことで、肉体と想いの二律背反性と二律迎合性が現れている証です。
結果だけを考えれば、肉体と想いは二律背反ですが、プロセスを考えれば、肉体と想いはコインの裏表関係になるわけで、まさしく二律迎合関係になるのです。
ここに、わたしたちが生きている世界の特性がある。
二律背反も二律迎合も、結局は二元論そのものであり、二元論とは始点が終点になる回帰運動に外ならないのです。
ただ円運動する点に注目すれば、それは二律迎合関係になるのです。
結果だけ考えれば、線運動であっても往復運動しておれば始点が終点にもなる、振り子と同じ原理ですから、二律背反関係になり得るのですが、円運動となるとプロセスが重複しないユニーク性がある、つまり二律迎合関係になっている、二元論の本質を表わしているのです。
わたしたちが、この世のメカニズムの理解に苦しむ原因がこの二元論の本質にあることを知らなければなりません。
「そんなややこしいことを考えなくても生きていけるではないか!」
殆どの人間は、そう思って生きています。
では、申します。
「それでは、人生を四苦八苦だと、じゃらじゃら愚痴ばかり言いながら生きるな!ただ生きておれ!」
それができないから四苦八苦しておるのです。
葛藤しているくせに、葛藤など面倒だと言っているのが、わたしたちなのです。
結果がシンプルであればあるほど、プロセスは複雑極まりないのが真理であることを理解できない阿呆なわたしたち。
シンプルな結果ばかりに目を向ける愚かなわたしたち。
お釈迦さんが、どれだけ苦労をしてシンプルな真理を得たか、わかっていない無知なわたしたち。
イエス・キリストが、「子供の心になってこそ、神の王国に入ることができる」と言ったことを、まるで理解していない無知なわたしたち。
宗教とは無知である証し。
無知の証しに群がるわたしたちは、一体何者なのでしょうか。
葛藤していることを自覚していないわたしたちこそ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)という化け者です。
あなたは山の化け者魑魅(ちみ)、わたしは川の化け者魍魎(もうりょう)。
それとも、あなたが川の化け者魍魎(もうりょう)で、わたしが山の化け者魑魅(ちみ)。
まずそこから葛藤しましょう。