Chapter 150 予見と期待感

ためらう(躊躇)ことが葛藤を無駄なものにしてしまうと申しました。
ためらい(躊躇)は迷いとも言えるでしょうが、迷いそのものが葛藤だと思われる方がいらっしゃるでしょう。
しかし実際には正反対の意味なのです。
葛藤するということは、現実と想いのギャップを認識して、想いを現実の方に合わせるために発する熱エネルギーなのです。
つまり、過去や未来へ向いている想いを、『今、ここ』に持ち運ぶ労作なのです。
迷いとは、『今、ここ』にしか存在できない現実を、無理やり未来や過去の方に持ち運ぼうとする想いが為す労作なのです。
普段のわたしたちが四苦八苦の人生を送っているのは、躊躇(迷い)の労作をしていることに外なりません。
所詮無理な話を現実にしようと言うのですから、まさに無駄な労作であるのです。
わたしたちの現実は、『今、ここ』しか存在できないのに、それを過去や未来に持っていき、『今、ここ』の本質である不変性を、可変性に取り代えようとするのです。
わたしたちがあれこれ悩み、不安感に苛まれるのは、過去を引き摺り、未来のことを取り越し苦労することが原因なのですが、実は『今、ここ』を生きるしか道はないことを重々承知しているわたしたちだからこそ、ここでためらう(躊躇)のです。
『今、ここ』のことは、あるがままのことですから変えることはできませんが、過去や未来へ持っていくと変えられると思うからです。
平たく言えば、不可能なことを可能にしようとするのが躊躇(ためらい)や迷いであるのに対し、葛藤することは可能なことをすることです。
近未来を予感したことを、誰でも経験したことがあると思いますが、それが実現したかどうかの違いは何であったでしょうか。
実現したことを翻ってみると、その予感は予見であったことがわかる筈です。
実現しなかったことを翻ってみると、その予感は実は期待感であったことがわかる筈です。
葛藤するということは、未来への想いを、『今、ここ』に持ち運ぶ光景を予見することに外なりません。
ためらい(躊躇)や迷いは、『今、ここ』の現実を、未来に持ち運びたい期待感に外なりません。
想いの矢の方向がまったく正反対なのです。
悩みごとで落ち込み、トラブルに巻き込まれたりすると、わたしたちは神頼みをします。
その時、期待感を持って神頼みしても決して実現しないのは、所詮無理なことだからで、期待感でなくて予見すれば実現するのです。
予見できるためには、大いに葛藤することが必要十分条件なのです。
『苦労は買ってでもしなさい』
しかし、ためらい(躊躇)や迷いの苦労なら、それは無駄な苦労となるでしょう。
葛藤の苦労なら、それは有用な苦労となるでしょう。
正夢の中では、わたしたちは無駄な苦労ばかりしています。
負夢の中では、わたしたちは有用な苦労をしているのです。