Chapter 15 アニメーション

映画のことを、昔は活動写真と呼んでいました。
英語では、Motion Pictureと言うのですが、もともとは、Animated Pictureと呼ばれていた通り、最近流行のアニメーション映画つまり動画の語源は活動映画にあったのです。
何故このような話をするのかと申しますと、Chapter14の中で、「部分を見るから動く、全体を見ていれば、それは動かない」と、わたしがお話をした意味をもうひとつ理解しきれていない方が多いようなので、それをよりわかり易く説明をする為であります。
アニメーションとは、どのようなものであるかと申しますと、映画の現像フィルムを見れば一目瞭然で、先ず一枚一枚の静止画がずらりと並んでいます。
その光景は、殆ど一緒なのですが、Animate−日本語訳すると、生命を与える、活気づけると言う意味です−させようとする部分だけを、少しづつ変化させている訳です。
動画にするには、静止画の中の動かしたい所だけ−即ち部分なのですが−を動く方向に細かく変化させていく、そして少しづつ部分だけが変化した複数枚の静止画を一定方向−この言葉も不十分で、英語ではSequentialと言って、引き続いて起こる、という意味です−に速く移動させると、恰も、その部分が動いているように見えるのです。
恰も見えるのであって、実際には動いているのではないことは、一枚一枚が静止画であることから明白であります。
活動写真のメカニズムを説明しているのですが、このメカニズムは正に、人間の心のメカニズムと同じであります。
人間の心というのは、「想い」と言う一枚の静止画が先ずあります。
この「想い」は湧いて来るものですから、わたしたちには制御できません。
いろいろな「想い」が、次から次へと止めどもなく湧いてくる、しかも湧いてくるスピードが猛烈に速いので、恰もそれぞれの「想い」が連なっているように錯覚して連想となっている。これこそが心の実体であるのです。
(活動)映画も、静止画といういろいろな単一の想いが、猛烈な速度で移っていくことによって、恰も動いているように観衆に錯覚させているのです。
その手品の種は、一枚一枚の静止画の部分を変化させ、その静止画を速くめくることによって動いているように錯覚させるところにあるのです。
全体を見るということは、一枚の静止画を見ていることに外ならないのです。
部分を見るということは、Animateさせていることになり、結局活動写真になるということです。
人間の心というのは、まさしくアニメーション映画であります。
動くというのは、全体の一部だけに焦点を絞ると、見ようとするエネルギーが行き場を失い、他の部分に移って行くことによるのです。
アニメーションというのは、心のメカニズムを利用した、今、ここにある一枚の静止画を速く動かすことによって観る者に錯覚を起こさせる手品であるのです。
手品には必ず種があります。
わたしたちが四六時中観ている夢という映画も手品ですから種があります。
手品でない本物は、映画ではなくて四階で実演されている舞台なのです。
わたしたちは、それを見過ごして生きているのです。