Chapter 146 二つの目線

より覚醒状態になるためには、心の眼の位置をより高くすることだと前Chapterで申しました。
心の目線を高くするにはどうしたらいいのでしょうか。
わたしたち人間は飛ぶことができませんが、鳥は飛ぶことができます。
鳥の背丈は人間よりも小さいから、地上にいる鳥の目線は、わたしたち人間よりも低いところにあります。
従って、地上にいる限り、鳥は人間を見上げる位置にいるのですが、飛ぶことによって彼らは、人間を見下げることができるのです。
鳥を飼ってみたことがあればわかるのですが、鳥は犬のように人間に迎合していません。
猫は犬ほど人間に迎合していません。つまり人間にべたべた懐きません。
それは、犬のように人間を常に見上げてはいないからです。
鳥のように飛ぶことはできませんが、人間よりも目線を高くする場所に自ら上がることができるからです。
餌をもらえるから一目は置いていても従属する気持ちは、鳥や猫には更々ありません。
犬は常に見上げているから、人間に完全従順です。
どうやら、目線は心の問題だけではなく、物理的にも関係していると考えられます。
四つ足で生活するよりも、二本足で生活することによって、人類は知性を発揮できたのです。
生物学的には、四つ足で生活している時よりも、頭の位置が高くなるわけで、脳に与える重力の影響が少なくなった結果、脳の働きが活発になったと考えられています。
心理学的には、目線が以前よりも高くなることによって視界が広くなる結果、了見が広くなる、つまり心の器が大きくなるようです。
鳥や猫が、飼い主の人間から餌をもらっても、人間に完全従属しないのは、目線が人間よりも高く、見下げることを経験しているからでしょう。
物理的に目線の位置を高くすることによって、見上げることが少なくなり、見下げることが多くなると、心の眼にも変化を来すのです。
背丈は遺伝なので仕方ないのですが、背丈の低い人の視界は、高い人よりも狭いのです。
背丈の低い人がコンプレックスを感じるのは、見下げられているという気持ちが起こるからです。
しかし、その結果一所懸命頑張ることでこの世的成功を収め、背丈の高い人を心の目で見下げようとするのです。
肉体的目線と精神的目線は、間違いなく関連していると言えます。
しかも肉体的(物理的)目線が主で、精神的目線が従であるのです。
つまり、肉体的(物理的)目線が高くなれば精神的目線も高くなるが、精神的目線が高くても肉体的(物理)目線は高くなれません。
ペットであっても、犬と猫や鳥では大きく違うのも、肉体的(物理的)目線が違うからだと考えられます。
従って、わたしたちの心の目線を高くするには、肉体的(物理的)目線を高くすることが効果的な方法だと考えられます。
飛ぶことができなくても、山に登ることによって目線を高くすることができる。
飛行機に乗って目線を高くすることもできる。
死が近づくにつれて、想いよりも肉体の方を自分だと思う意識が強くなっていくのは、わたしたち人間が精神よりも肉体を優先していることに外ならないわけで、宗教や哲学を潜在意識下では否定しているのに、宗教や神に頼る人間の弱さの所以であると考えるのは、ちょっと飛躍し過ぎでしょうか。