Chapter 145 心の眼

覚醒状態で生きると、世の中のことがよく見えてきます。
当然と言えばそれまでですが、殆どの人たちの意識が眠った状態の上に、欲ボケで心の眼に霞がかかっているので、世の中のことが見えません。
近視の人は近視用の眼鏡をかけて遠くのものを見えるようにします。
遠視の人は遠視用の眼鏡をかけて近くのものを見えるようにします。
正常な視力の人は、眼鏡をかけなくて近くも遠くも見ることができます。
正常な視力でない人は、遠くに焦点を合わせると近くのものがぼやけて見えるし、近くのものに焦点を合わせると遠くのものが霞んで見えるわけで、正常な視力の人のような自然の遠近両用ではないから非常に不便なのです。
心の眼も正常であれば、自然の遠近両用であるのに、欲ボケなどが原因で視力が衰えてくるのです。
従って、自分の心の眼が先ず正常な視力を有しているかどうかをチェックしなければなりません。
その為に、近視になっていないか、または遠視になっていないか、遠視を越して老眼になっていないかをチェックすることです。
わたしたちの眼は、個人差がありますが、歳を重ねる毎に遠視になる傾向があります。
つまり、遠くのものは見えるが近くのものが見え難くなります。
では、心の眼はどうでしょうか。
歳を重ねてくると経験が多くなってくるから、若い頃より先を見ることができるようになるのが一般です。
若い頃は、あと先を考えずに冒険をする。
目先の楽しいことばかりを追いかけるものです。
やはり心の眼も、歳を重ねる毎に遠くのものが見えるようになるのがその傾向だと言えるでしょう。
心の眼が正常な視力であれば遠くも近くも見えるのですが、視力が衰えてくるとどちらかに偏ってしまうわけで、歳と共に遠視になり勝ちなのが一般的です。
人生に白けてくるのも心の眼が遠視傾向になるからで、毎日をエキサイティングに生きるためには、できるだけ近視傾向で生きることも一つの方法であると言えます。
「今を楽しんで生きる」と言いますが、「先を楽しんで生きる」とは言いません。
「一寸先は闇」とよく言われます。
いくら注意をしても、一寸先は闇なのですから、完璧に予防することは不可能です。
人間の経験則から、このような言葉が生まれたのでしょう。
余り先のことをくよくよせずに、今を楽しく生きるべきなのでしょうが、ここで勘違いしてはなりません。
「今」とは「目先」ではありません。
遠くのものより「目先」の方がよく見える眼が近眼です。
正常な眼は、「目先」ではなく、「今」が見えるのです。
この違いをよく認識してください。
『今、ここ』を生きるということは、心の眼が近眼になることではありません。
心の眼が正常である人だけが、『今、ここ』を生きることができるのです。
遠くのものも見えるが、近くのものも見える眼が正常な眼なのです。
眼の位置が高ければ高い程、遠くもよく見えるように、『今、ここ』とは遠近の問題ではなく、高低の問題であるのです。
心の眼の位置を高くするには、より覚醒状態に置くしか方法はありません。