Chapter 14 映画と舞台

わたしたちが、現実の世界と思っているのは、わたしたちそれぞれが持っている肉体の目の奥にある網膜というスクリーンに映された像であって、実体そのものではないことは、理解して頂いたと思います。
映っているものであれば、飽くまで像であって物ではないのですから、触ることはできない筈です。
スクリーンに映っている美しい女性の裸体を観て、あなたは肉欲を催して触ろうとしても、そこには白いスクリーンと肉欲にまみれたあなたの黒い手が映るだけで、美しい女性の裸体はどこにもいないのです。
しかし現実の世界では、あなたは美しい女性の裸体に触れることができます。
だから現実だと思っているわけです。
この点をみなさんに納得してもらわなければ、現実の世界も夢であって、所詮映像であると、いくらわたしが強調しても、無駄な努力に終わってしまいます。
四階から観た映画は、実は映画でなくて実物の人間が演じている舞台であると、前の章で申しました。
わたしたちが、気づいていようが、気づいていなかろうが、実際に存在している、つまり実存している世界は四次元世界であると、「神はすぐ傍」でお話しました。
わたしたちが、わたしだと思っているのは、四次元世界に実存する真実のわたしたちであるのですが、実際には、三次元世界に実在する事実だけを観ているのです。
つまり、わたしたちが実体のある自分だと思っているのは、全体の自分の一部分なのです。
では、自分の一部分とは何なのでしょうか。
部分というのは、実在し得ないのです。
全体であってはじめて実在し得ることをよく理解して頂きたいのです。
あなたは、美しい女性の裸体を見る。
裸体全体を見ているなら、あなたは肉欲を催しません。
『なんと美しい体だ!』と思うだけです。
その美しい豊かな乳房を見て、その見事な腰の曲線を見て、あなたは肉欲を催すのです。
それは一部分を見ると、あなたの目は乳房から腰へと移って行く、そしてそれにつられて、あなたの想いも動いて行く。
あなたの想いが動くから肉欲が頭をもたげてくるのです。
欲望の本質は、思考にあることを忘れてはなりません。
美しい薔薇の花を見て、あなたは、『なんと美しい花なんだろう!』で想いを止めていればいいのですが、『なんと美しい花なんだろう、これが薔薇という花らしい・・・』となると、『・・・自分の家に飾ってずっと眺めていたい、だから切り取って自分のものにしよう』となるのです。
欲望の原点はここにあるのです。
事実を、すべての自分だと思っていると、あなたの想いは動き続ける。
動き続けるあなたの想いは、思考であって、あなた全体の真実ではない。
思考であるあなたが観ている世界は映像の世界であり、あなたの実存が観る真実の世界は四次元世界であり、それは映像ではなく実舞台であるのです。
あなたは、今まで映像ばかりを観て生きて来たから、実舞台があることを知らないのです。
「色即是空、空即是空」
「映像即実舞台、実舞台即映像」
これを理解しない限り、あなたは永遠に夢を見続けることになるのです。