Chapter 138 「わたし」と「私」の確率

量子論に有名な「不確定性原理」というものがあります。
この理論は、宇宙に存在するすべてのものは粒子でできているのですが、その粒子の位置と運動を同時に確定は出来ないというものです。
わたしが新幹線の列車の中にいるとしますと、位置つまり新幹線の中は認識(確定)できるのですが、新幹線は時速300kmで走っているにも拘らず、わたしはどんな運動をしているかわからない。つまり時速300kmで走っている感覚がない。
一方、時速300kmの新幹線と共にわたしも走っている感覚を持つと、その位置つまり新幹線の中にいることを認識(確定)できないというわけです。
わたしたちが、普段自分だと思っている、「私」は運動そのものであると申しました。
次から次へと変わっていく(運動する)、「私」を自分だと認識しているわたしたちには、不確定性原理を当てはめれば、位置は確定できません。
つまり、『今、ここ』にいる存在のレベルの、「わたし」は位置であって、運動レベルの、「私」には確定できません。
位置を確定するなら運動は確定できない。
運動を確定するなら位置は確定できない。
「私」を確定しては、「わたし」は認識できない。
「わたし」を確定したら、「私」は認識できない。
「私」と「わたし」は二律背反関係にあるとも言える。
しかし、「私」は「わたし」の影であって、二律迎合関係にあるとも言える。
不確定性原理は、位置と運動の確率の問題であって確定はできないと言っています。
位置(存在)レベルである、「わたし」と運動レベルの、「私」を不確定性原理で検証しますと、確率(割合)の問題になってきます。
わたしたちは、3割の「わたし」と7割の「私」であったり、5割の「わたし」と5割の「私」であったりするのです。
10割とゼロの、「わたし」と「私」は生身の人間である限り有り得ないのでしょうか。
しかし、本来の不確定性原理では、10割の「わたし」とゼロの「私」か、ゼロの「わたし」と10割の「私」しか有り得ないのです。
やはり、わたしたちは10割の「私」で生きていくしか無いのでしょうか。