Chapter 137 5階から観る舞台

「私」を自分だと思って生きている限り、四苦八苦の呪縛から解放されることはありません。
存在ではなく行為である「私」は常に揺れ動いているわけで、動く度に新しい自分がまるでアメーバーのように次々と生まれてくるのです。
新しい自分は、前の自分を否定する。
前の動きを否定する力によって新しい動きをつくるのが運動の原理なのです。
「神はすぐ傍」で、わたしたちの宇宙は運動の宇宙であると申しました。
運動の宇宙ということは、運動しない、つまり静止の宇宙があったと推論される。
それが、人知の及ばない「果てのない宇宙」なのでしょう。
有限である、わたしたちの宇宙に対し、無限の宇宙と言えるでしょう。
有限の宇宙であるわたしたちの宇宙が137億年前にビッグバンによって誕生する様は、まさに無から有が誕生した瞬間だったのです。
パチンコ玉よりもずっと小さくて、太陽より遥かに重いものが爆発したのがビッグバンだと言うのですが、これは飽くまで無の表現手段です。
つまり、静止の宇宙と言ってもいいし、暗闇の宇宙と言ってもいいし、沈黙の宇宙と言ってもいいし、それらを総称して有限の宇宙に対し、無限の宇宙と言ってもいいわけで、わたしたちの宇宙の前の宇宙と言ってもいいでしょう。
わたしたちの宇宙は、前の宇宙を否定することによって生まれたのです。
前の宇宙には、たった一つの力しか存在しなかった。
ところが、新しい宇宙が誕生した直後に、四つの力に分かれた。
ビッグバンが起こった10の44乗分の1秒後に「重力」が誕生し、更にビッグバンが起こった10の36乗分の1秒後に「強い力」が誕生し、更に10の11乗分の1秒後に「電気の力」と「弱い力」が次々と前の宇宙ではたった一つの力だったものから枝分かれして誕生したと言われています。
これらの力が誕生してゆく過程で、重力が運動を生み、運動が時間を生んで行くわけです。
また新しく誕生した直後の宇宙には、正物質と反物質のX粒子がぎっしり詰まっていたのですが、対消滅と言って、正物質と反物質がお互いに消して行く過程で光が誕生し、1個だけ正物質のX粒子が残ったのが、わたしたちの宇宙だというのです。
静止から運動。
暗闇から光。
沈黙から音。
わたしたちの宇宙は運動する光と音のある世界に対し、わたしたちの前の宇宙は静止の暗闇と沈黙の世界だったのです。
正物質と反物質が対消滅する、つまり新しい宇宙が前の宇宙を否定することによって誕生する様子なのです。
前を否定することによって起こる現象こそが運動であり、その時、時間の概念が誕生したのが、わたしたちの宇宙なのです。
運動する宇宙に生きているわたしたちは、前のものを次から次へと否定することで成立している。
行為である、「私」も運動の本質からして、前の「私」を次から次へと否定することによって新しい、「私」を誕生させていくのです。
存在のレベルの、「わたし」は静止の世界であって、それはたった一つの力によって支えられているのです。
3階、4階、5階にあるたった一つの座席は、「わたし」の為だけのものであり、まさに静止の暗闇と沈黙の世界であるのに対し、背景画面のある舞台は、運動の光と喧騒の世界であるのです。
そして5階から鑑賞する舞台こそ、夢の中に顕れる前の宇宙の映像なのです。