Chapter 130 自己に対する公約

普段のわたしたちは所謂現実の世界を生きていますから、勇気を発揮することを所謂現実の世界の中で為すことだと勘違いしています。
『勇気を奮うとは、世の為のものではなく自己の喜びの為に発揮すべき要件であるのです』
とお話しましたのは、普段のわたしたちが生きている所謂現実の世界が世の中であると思っている故であります。
わたしたちが思っている世の中とは映像の世界であって、そこに実在するのは鏡でしか見たことの無い本当の自己が控えているだけで、それ以外実在するものは何もないのです。
従って、勇気を奮う場が映像の世界であり、自己とは鑑賞者と映像の関係であるのに、映像の中で何かを為そうとするのは所詮不可能なことであるのです。
これは夢の中でも同じことが言えます。
わたしたちは夢を観ています。
見ているのではありません。
見ているのなら、見ている中に自分も存在する筈です。
観ているなら、映像を観ている鑑賞者ですから、観られている映像の中に観ている自己を見出すことはできません。
つまり、夢を観ているわたしたちは、夢の中に登場することは決して有り得ないのです。
しかし、夢の中の世界に自分も一緒に出演していると勘違いしているのです。
鑑賞している自己が実在する、「わたし」であって、夢の中に一緒に出演していると勘違いしている幻想の自分が、「私」であるのです。
幻想の自分は実在するわけではないので、何も為すことはできません。
実在するものしか、勇気を発揮することはできないのです。
それは3階そして4階、5階に座っている独りだけの、「わたし」しかできないことなのです。
『世の中の為になることをする』
わたしたちは、この言葉を心地好く発します。
しかしこれほど自覚のない偽善的なものもありません。
本当の自己を自覚し、それに忠実に生きるなら、独りだけの席に座っている自己以外見出すことはできないのですから、世の為に為すことなど有り得ないことがわかる筈です。
有り得ないことは、実現できるわけがありません。
政治家が、「実現させます!」と公約をしても、決して守ることができないのと同じであります。
政治家とは、『騙り』以外の何者でもないのであります。
自分に公約できないのに、他人である世に公約できるわけなど無いのです。
勇気を発露するのは、唯一実在する自己に公約することであることを忘れないで頂きたいと思います。