Chapter 128 本当の自己の復活

本当の自己が解れば、今までの自分はどうなるのでしょうか。
今までの自分とは、いろいろと不必要な想いの連想であると言えるでしょう。
連想とは、関連の無い複数の想いであって、普段のわたしたちの想いそのものであります。
しかも、そのひとつひとつの想いが本来不必要なものであるのです。
少しでも必要な想いがあれば、それは連想にはなり得ないのですが、残念ながらわたしたちが自分だと思っている想いの正体は、まるでゴミ屑のようなものであるのです。
不必要な想いの連想。
これが、わたしたちが普段思っている自分の正体であるのです。
世の中の出来事を洞察してみれば、たとえ如何なる方々であっても、『あれ!ちょっとおかしいのでは?』と察するようなことばかりが起こっている。
しかし普段のわたしたちは、それを『?』とさえ思わないで生きています。
察することさえ出来ないわたしたちであるのです。
洞察するとは、不必要な想いの連想の中に、必要な想いを挿入する行為であるのです。
理解すると言ってもいいでしょう。
普段のわたしたちは、理解するという行為すらせずに生きています。
朝になったから起きる。
夜になったから寝る。
昼の12時になったから昼食を摂る。
自然の中で生きている動物たちの行動はすべて根拠があるのです。
普段のわたしたちの行動はまったく根拠がないのです。
眠くなったら眠り、起きたくなったら起き、空腹を感じるから食べる。
これが自然の中に生きている動物の行動パターンです。
仕事が『決まった時間』からはじまるから起きて出かける。
仕事が『決まった時間』に終わるから帰って寝る。
仕事が『決まった時間』の間で食事を採る。
よく考えてみれば、普段のわたしたちは、いろいろな『決まった時間』の仕事をいっぱい抱えて生きています。
会社に行く仕事もあれば、夫婦の夜の営みの仕事もあれば、生理作用の仕事もある。
わたしたちは、まるで『決まった時間』の仕事漬けの一生を生きているようです。
何故こんな生き方をするようになってしまったのでしょうか。
それは不必要な想いの連想を自分だと思って生きてきたからです。
本当の自己とは、『今、ここ』という非連続空間の中で起きる衝動そのものが、その実体であるのです。
考えてみれば、本能は衝動的想いであります。
この衝動的想いを子供の頃には持ち合わせていたわたしたちだったのですが、いつの頃からか失ってしまったのです。
この衝動的想いを回復させることが、本当の自己の復活であると思います。
その為には、『今、ここ』を生きるしか方法は無いのです。