Chapter 127 (悪い)記憶の消去

正夢を観るのは、自己だと思っている想いの産みの親である記憶がその原点にあります。
記憶というものは、好い思い出の記憶は蓄積することが難しく、悪い思い出は蓄積し易い特性を持っています。
従って、記憶の蓄積から観る正夢は悪夢が多いわけです。
出来るなら正夢は観ない方がわたしたちにとってはよい。
正夢を観なくなると、夢を観た覚えはなくなりますが、実際には熟睡状態の時に負夢を観ているのです。
それよりも重要なことは、正夢を観なくなると目が醒めている時に意識は希薄であるが依然観ている夢、つまり白昼夢も観ないようになります。
眠っている時に観ている正夢が、目が醒めると白昼夢になっているだけのことで、正夢の続きを観ているのです。
夢を引き摺っている余韻は、この白昼夢の所為なのです。
結果、余韻を引き摺った憂鬱な一日になってしまい、次の眠りに入る次の夜まで憂鬱を引き摺ることになってしまいます。
このパターンを毎日続けているのが普段のわたしたちですから、人生は四苦八苦になるのも当然です。
では正夢を観ないようにするにはどうしたらいいのか。
「心の旅の案内書」で書きましたが、もう一度おさらいの為に簡単に説明しておきます。
深淵(Abyss)の一瞥である、夜眠りに就く時に醒めた状態にする。
この状態で、今日一日の記憶を消去する作業をするのです。
消去する方法は、一日の出来事を思い出すことですが、思い出す順序が、『今、ここ』から始めて、今日の朝目が醒めた時まで遡るのです。
この作業は、「言うは易き、行うは難き」なもので、途中で寝入ってしまいます。
そして朝目が醒めた時、醒める直前まで観ていた夢の記憶を再び遡り、昨夜眠りに就いた時まで思い出す。
この作業も、「言うは易き、行うは難き」で、朝目が醒めた時、意識が醒めた状態でないとなかなか出来ません。
この作業は録画テープを再生して更に消去する作業と同じ方法であるのです。
録画テープは録画を開始してから録画し終わるまで順序よく記録されています。
再生するには先ず巻き戻ししなければなりません。
それが、『今、ここ』から記憶を思い出す作業に外なりません。
一旦巻き戻してから消去の作業に入る。
消去の作業は、要するに思い出した事柄をチェックする。
そして心に引っ掛かる事柄をピックアップして、反省という消しゴムで消すことです。
キリスト教における告白と懺悔は、まさに消去の作業なのです。
この作業を寝入る直前、目が醒めた直後にすることで一日24時間の記憶を消去することが出来ます。
そうしますと正夢の原点である記憶が蓄積されないようになるのですから、当然いつかは記憶のストックがなくなり正夢を観なくなる。
夢を観なくなるプロセスの中で、夢を観ているのだけれど夢を現実だと思わないで、夢を夢だと醒めた目で観ているわたしになります。
それが正夢を観なくなる前兆です。
正夢を観なくなったら、白昼夢も観なくなる。
つまり分裂した自己でなくなり、本当の自己が浮きぼりされて来るわけです。