Chapter 125 深淵(Abyss)の意味

活き活きとした人生の第一歩は、今日一日を先ず活力ある一日にすることだと申しました。
そして今日一日の始まりである朝目が醒めた時、今日一日を締め括る夜眠りに就く時に思うことが、一日を決定してしまうのです。
その為には、意識を少なくとも、朝目が醒めた時と夜眠りに就く時は醒めた状態にしておかなければなりません。
朝目が醒めた時に意識を醒めた状態にしておく必要があるということは、普段のわたしたちは、目が醒めても意識は醒めていないということになります。
夜眠りに就く時に意識を醒めた状態にしておく必要があるということは、普段のわたしたちは、眠りに就く前に意識は既に眠っているということになります。
四六時中、わたしたちの意識は眠っている所以です。
眠るということは夢を観ているわけで、四六時中夢を観ている所以です。
そうしますと、わたしたちの肉体が醒めているということはどういうことでしょうか。
意識はどうやら四六時中眠っているらしい。
肉体は、目が醒めた時だけ醒めているらしい。
つまり、普段のわたしたちにとって、常に存在しているものは無く、肉体が醒めている時だけ自己の存在を確認できるのです。
しかし、わたしたちは現存しています。
このギャップを埋めることが、わたしたち生あるものの務めであるのです。
その第一歩が、少なくとも朝目が醒めた時と夜眠りに就く時は、意識を醒めた状態にしておくことなのです。
究極的には、四六時中意識を醒めた状態にすることですが、先ずは肉体が眠りと覚醒の狭間にいる時だけでも意識を醒めた状態にすることが大事だと言えるでしょう。
つまり、わたしたちの住んでいる宇宙は運動の二元世界ですから、どうしても二元論に支配されます。
眠りと覚醒も二元要因です。
覚醒一元の世界に入る為には、二元要因を超えて三元世界に行かなければなりません。
二元世界を超えて三元世界に行くには、先ず二元要因の狭間、つまりどちらの要因にも属さないニュートラルポイントを意識できなければなりません。
それが、朝目が醒めた時と夜眠りに就く時で、それを深淵(Abyss)と言うのです。