Chapter 122 死後の世界など無い

わたしたち人間が生きていると感じられるのは、自分の肉体を感じるときです。
普段のわたしたちは自分の肉体を感じていません。
何か肉体に異変を感じたとき、まさに生きていることを感じるのです。
わたしたちは3分も息をしないでいると死んでしまいます。
息が止ってはじめてわたしたちは息の存在に気づき、息をしている肉体を感じるのです。
息を意識し、肉体を意識するのは、息や肉体の存在が消滅する間際にならないとできないのです。
そしてその間際に、わたしたちは生きていることを感じるのです。
生きていると感じるのは、想いと肉体が連動していることを知った−感じた−瞬間(とき)しかないわけです。
一方、普段のわたしたちを振り返ってみますと、想いと肉体はバラバラに動いています。
息が端的な例ですが、わたしたちは息を意識して生きていません。
息は、わたしたちの想いなどまるで無視して、吸う、吐くを繰り返していますが、息が出来ないような事態になると、想いと連動するのです。
息を失う事態になるまで、わたしたちの想いは息の存在に気づきません。
肉体を失う事態になってはじめて肉体の存在に気づくのは、やはり肉体よりも想いの方を自分だと思っているからでしょう。
魂や霊魂の存在を信じる所以がここにあるのです。
肉体よりも想いを自分だと普段思っているわたしたち。
しかし肉体が消滅する事態になると、想いだけでなく肉体も自分だと思うようになる。
更に、肉体がまさに消滅の過程に入るや否や、わたしたちは想いなど自分ではなく、肉体だけが自分であることに気づきはじめるのです。
死を直前にした瞬間です。
そしてまさに息を引取るに及んで、想いへの思いはどんどん希薄になっていき、肉体への思いが強くなっていき、肉体こそが自分であることに気づいていくのです。
そうしますと、死ぬことは肉体だけの死であって、魂は不滅であると教える宗教とは、まったく逆の結果を、死は教えてくれるようです。
つまり宗教や信仰は、肉体あっての物種で、死後の世界ではまったく無用の長物であるわけです。
しかし現存する宗教や信仰は、死後の世界を縁(よすが)にしているのです。
生ある世界での有用性を証明できないから、死後の世界を縁(よすが)にするしか手はないのです。
わたしたちは、夢の中で眠っているのに、眠りの中で夢を観ていると錯覚しています。
わたしたちは、夢を観ている中で眠っているのです。
その眠りから醒めるのは死ぬときです。
しかし、死ぬ前に眠りから醒めることも可能です。
それは夢の中のことを夢だと認識できたときです。
わたしたちは、夢の中のことを、所謂現実だと思っています。つまり夢の中で眠っているのです。
わたしたちが、夢の中のことを夢だと気づくことができたときこそ、眠りから醒めたときなのです。
死後の世界のことを語るのは、騙り以外の何者でもありません。
生きている世界のことを語るものこそ、21世紀のわたしたち人間は待望しているのです。