Chapter 121 3万コマの出来事

眠っている間しか夢を観ていないとするわたしたちの考えだと、一日に一回の夢を観ていることになります。
一夜の睡眠の中でも数回の夢を観ているとも考えられますが、わたしたちの記憶にインプットされるのは一回の夢だけです。
わたしたちが住んでいる地球は、1年が365日ですから、一生を80年としますと、およそ3万日の寿命ですから、3万回眠って、3万回夢を観ることになります。
わたしたちの一生を振り返ってみるということは、3万コマのフィルムを逆回ししてみることになります。
つまり3万コマの記憶を辿ってみることに外ならないわけです。
3万コマは微妙に変化しているので、わたしたちの記憶では独立したものと捉えている為に、一生を振り返ってみる場合、決して出来事で振り返るのではなく1コマ毎に、即ち1日毎にしか記憶を辿ることが出来ないのです。
ここにも人生を透徹する妙があるのです。
わたしたちの記憶をよくよく洞察してみますと、出来事毎に記憶しているのではなくて、1日毎に記憶していることがわかってきます。
しかも、1日の記憶と言っても、目が醒めていた時と、夢を観ていた時のどちらかを記憶しているだけなのです。
正夢を観た時は、醒めていた時の記憶よりもありありと記憶に残っているので、過去になると正夢の方を記憶として強く持っているのです。
負夢を観た時のみ、記憶が極めて希薄であるため醒めていた時のことを記憶しているのです。
従って、わたしたちの過去の記憶というのは、正夢の中での出来事か、醒めていた時の1日の出来事であるのです。
走馬灯のような人生と言いますが、まさに一生を振り返ってみると走馬灯のように、一貫性のない、とりとめのない出来事であるわけです。
これは、わたしたちが日々−この日々が重要なキーワードになります−考えていることをそのまま表現しているのですから、如何にとりとめのないことを考えているかの証明にもなります。
実は、わたしたちは、一日の出来事、しかもおよそその半分は夢という過去の記憶の反復をしただけのことを以って一生と思っているのです。
まさに、とりとめのない3万回の出来事が、わたしたちの一生であるのです。
この3万回の出来事を脳で記憶しているのですが、脳が死にますと、この記憶も消滅してしまいます。
プチンと電気が切れ、映写機が突然止ってしまうように、死によって記憶がプチンと切れてしまうのです。
その後、どうなるかは、死んだことのないわたしたちにはわかりません。
ただはっきりしているのは、プチンと記憶が切れる直前のとりとめのない3万回の出来事の想起だけです。
その一瞥を、日々の夢の中の眠りで与えてくれているのですが、眠りの中の夢しか観ていないわたしたちには、その一瞥すら見えないのです。